「ことのは」は盛岡みなみ教会が地域に配布しているニュースレターです。
「ことのは」とは言葉という意味です。
神さまのことばである聖書を、
普段の生活と結びつけて読んで頂ける様に
との祈りをこめています。

救い主は待っておられる
2008年4月1日
「 娘の得意語 」
◆二歳半を過ぎた娘が、一日で最も多く発する言葉が「やだ」です。朝起きてからのダイジェストは、「お着替えしますよ」(妻) 「やだ」(娘)、「寒いから靴下はこうか」(妻)「やだ」(娘)、ならば気分を変えようと「ヨーグルトに桃入れて食べようか」(私)「やだ」(娘)。次々と繰り出される「やだ」に朝から疲れてしまうこともあります。
それで、何事も「やだ」から始まるものだと思いながら、「これ、お片づけしようか」とあきらめ半分で言うと、ふいに「はい」と返事をすることもあります。あまりにも「やだ」に慣れてしまったので、時々「はい」を聞くと、こちらの耳がおかしくなったかと思う程です。そうして一度疑ってから、徐々に娘の「はい」が心地よく胸の内に響いてくるのです。
正直なところ、こちらの提案や願いにいつも「はい」と答える娘になってくれないだろうかと考えることもあります。「〜しようか」「はい」、「〜しなさい」「はい」、「〜が正しいのだ」「はい」……こうなれば、確かに、楽になるかもしれませんが、何だかいびつな気もします。 スムーズに事が運びすぎ、やがて親子の会話がなくなって、大事なものが欠けていくような未来図を想像してしまいます。
「 はいを待ってあげる 」
◆ふと、我が身を振り返れば、決して「はい」だけを言って生きてきたわけではありません。やはり二歳の娘と同じように「やだ」を連呼してきたはずでしょうし、今もそんなに変わらないのが現実です。我が娘だけにそうさせまいとするのは、親の身勝手というものでしょう。
それから、次のように考えました。「もしかして大事なのは『はい』だけを言う事ではなく、むしろ『やだ』と言える事ではないか」、「親のすべき事は『やだ』を言わせまいとすごむのではなく、『はい』を待てるようになることではないか」と。たとえ、娘が「やだ」と言ったとしても、次には「はい」と言うのを待ってあげられるのが、親として最大の務めなのかもしれないと思い始めたのです。親として「はいと言わなければ承知しないよ」と迫るのではなく、「今、『やだ』と言っても、お前が『はい』と言うのを待っているよ」と伝えられるようになりたいと願います。
私は聖書のことばに救いがあると確信するまで四半世紀の時を要しました。神さまは、私が「はい」と言うのをずっと待ってくださったので、私もその愛と忍耐とお心に応えて、日々生きたいのです。
