日曜礼拝の聖書メッセージです。
今月の最新の週から順に載せています。
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心の養いとなりますように。

「日曜日に教会へ行き」
主日礼拝 2008年5月4日
20:1 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
20:2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
(「出エジプト記」20章1-8節)
◆神が定められたサイクルで
盛岡みなみ教会のある北国岩手には、今、百花繚乱の春が訪れています。つつじ、梅、桃、桜が同時に咲いています。神さまのなさることは想像を超えています。こうして長い冬が確実に終わり、穏やかな季節を迎えると、心身が健やかな面持ちになります。これは、上の8節の「安息日を覚えて、これを聖とせよ」とのことば(第四戒)にも通ずるものがあるのです。木々花々が神の定められた時に葉を落とし、花をつけるように、私たち人間も神の定められた時に休み、働くことが求められているからです。人は生かされている存在ですから、神のことばに従って生きるより他にすぐれた道はありません。今こそ、神からの恵みを知る人となりましょう。「知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。」(箴言4:6)
◆覚えよ
聖書の人々は古代から、週に一日を主の日として過ごしていました。安息日には礼拝、いけにえ、祈り、賛美、集会/交わりに生き、他の日に行うすべての仕事を止めたのです。安息日がいつであるかには幾つかの立場がありますが、教会/クリスチャンは週の初めの日=日曜日を安息日として過ごしてきました。これを「覚えよ」とは、日曜が安息の日であることを知識として知るだけでなく、実際にそのように過ごし、心身に刻み込むことです。これは、日々の忙しさや疲れ弱りのために、心身をすり減らしてしまう、周囲の環境や諸問題に埋没してしまうことがないようにとの、神さまのお心です。これに応えて、神を信じ、人生の主を見上げ、幸いな約束を覚えてから始める一週は必ず違いをもたらします。
◆聖なる日とせよ
聖なる日とせよの「聖」とは「取り分ける、分離する」という意味です。すなわち、「神さまのために取り分ける、使う」ことを意味します。大げさな振る舞いでなくても、私たちが、この日を「覚える」ことにより「聖なる日」となるのです。礼拝で語られたみことばに心動かされ、賛美で励まされ、祈りと交わりによって主の守りを味わう。ただこの日に礼拝にしただけで、日曜には教会へ行き、月曜日は世に流される、では困るのです。礼拝式のみならず、家においても自分に主の御手がおかれていることを忘れず、それに憩い、寄りかかることが健やかな信仰と生活を築いてくれるのです。

