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日曜礼拝の聖書メッセージです。
今月の最新の週から順に載せています。
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心の養いとなりますように。

「All for Jesus!」
主日礼拝 2010年9月5日
「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。
さて、イエスがベタニヤでツァラアトに冒された人シモンの家におられた。ひとりの女が高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。」
そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」
(「マタイの福音書」26章1-16節(抜粋))
◆悲しみに入るイエスさま
上の箇所は「これらの話をすべて終えると」(1節)で始まるように、弟子や人々に話されたみことばの時から、いよいよ十字架の時へと入っていく移り変わりがこの26章でよく分かります。そして、イエスさまはご自身のこの世での終わりをしっかりと見つめられ「二日たつと・・・引き渡されます」(2節)と告げます。「あと二日」という自分のいのちの長ささえも分かってしまう時、イエスさまの心は大きく騒がなかったでしょうか。この章の中盤、ゲッセマネで苦悶の祈りをされていますから、イエスさまには相当の悲しみ、もだえがあったのです。だからこそ、イエスさまは私たちの慰め主なのです。私たちが味わう苦しみやもだえを分かってくださり、共に担ってくださるのが、他でもない、このお方なのです。でも、この「あと二日」に弟子たちはまったく反応を示しませんでした。ですから、このすぐ後にたった一人、名もなき女が登場するのに、ハッとさせられる場面が出てくるのです。
◆イエスにすべてを
彼女が高価な油をイエスさまに注いだ時、弟子たちは「憤慨」しました。「こんなむだなこと!」とさばきました。しかもその行為の一部始終を「見て」そう言ったのです。けれども、イエスさまはそれを「りっぱなこと」とされ「世界中のどこででも・・・この人のした事も・・・記念となる」(13節)と色あせない愛の奉仕だと言われたのです。このすぐ後では、その場にいたユダが、すぐに出て行き「イエスさまを売ったらいくらくれますか」と祭司長たちを尋ねます。すべてを注ぎ出した女といくらくれるのかと手ぐすねをする弟子のユダ。背後で殺す相談をしている長老たち。この事態にも心動かされていないように見える弟子たち。
さまざまな価値観、生き方が記されている中で、いったい私たちが目指すべき姿はどこにあるのでしょうか。それはやはり、イエスさまがこれだと示しておられるこの女性に目を留めるべきでしょう。彼女は目の前のイエスさまに全てを注ぎ出しました。
私たちも同様に、私の存在、思い願いをイエスさまにあずけてしまいましょう。するとその時、全てが神の御手にある深い平安を体験できます。信じて明け渡しましょう。ささげましょう。

