日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

三日牧師

盛岡みなみ教会の牧師・大塚史明と
妻の朗美による日記です。
ここをご覧くだされば牧師や教会なんて別世界
というようなイメージは払拭されることでしょう。
どうぞ楽しんでください。

牧師・大塚史明、妻・朗美、娘・恵連、協音

「お弁当の楽しみ」

1217 2021.6.11

「お弁当」はどうして他の食事と違うのでしょう。いや、正確には他の食事とは違った美味しさを感じるのでしょう。そんなことを考えながら、昨日至ったのは「作る人と食べる人との距離」です。普段の食事は作ればそのままダイレクトに、その場で食べることが多いものです。家庭であっても外食であってもそうですね。けれど、お弁当はアツアツでもなければ、ヒエヒエでもない。入れる食材も、食べる時刻も、持ち運びの方法も、保存の場所も難しい!それでも、お弁当箱を開けたり、口に運んだときの幸せ度は別格のものがあります。また、作った側は「今頃、食べているかな」「全部食べてくれたかな」などと想像する楽しみもあります。

昨日のこども食堂のメインは「鶏の唐揚げ」でした。お肉の中まで熱を通し、かつ硬くならないように・・・試行錯誤を繰り返しながらたどり着いたのは「余熱で仕上げる」こと。揚げきってしまうと火の通りは良いものの、食感が損なわれますが、この方法はバッチリでした。一緒に作業くださる方の太鼓判のひと言が決め手。味つけ以外にも料理の決め手はあるものですね!妻も、家庭やこども食堂の「味付け番」(注:番長ではありませんよ)を長年仰せつかっています。その責任感、素晴らしいと再発見です。

写真はこども食堂のお弁当と今朝の次女用のお弁当。幾度か肉巻きおにぎりをしましたが、今朝のは焼いている自分が微笑むほどの出来栄え。ただ、味が濃かった・・・次、もっと美味しいもの作るからね。父より。

お弁当の楽しみ

お弁当の楽しみ

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「蓄積の大切さ」

1216 2021.5.23

妻が手首を捻挫したことから、調理の大役を担うようになって2週間ほど。それまで時折食事作りをしていたものの、あくまで気まぐれスポット参戦。日常となると、献立から買い物計画、在庫管理など調理以外にやること満載なのだ!と気づきました。結婚以来20年弱ずっっとこのことをしてくれていたのだと妻に感謝です。

さて、自分でもやや心配気味に始まったのですが、やってみると楽しいもので、出来上がっていく様と美味しく食べてくれる様子に清涼感のような満足をいただいています。色々とメニューもチャレンジしていて、自分でも飽きずに取り組めていることは嬉しい発見です。ただ、これまでの蓄積がないので、毎回ネット検索と動画が頼り。いつになったら、自己に蓄積されてある程度できるようになるのでしょうか。あらためて積み上げの大切さを教えてもらいました。

先にも書いたように自分でも飽きないように、新たな品を作っていますが、このお昼は「韓国屋台サンド」を作りました。食パンをホットプレートで温めておいて焼き色を付け、はちみつやヨーグルトなどお好みのソースをかけておき、キャベツと卵を混ぜたものをフライパンに。その上から刻んだハムととろけるチーズを載せて裏面も焼く。それを食パンの上に鎮座させ、ケチャップやマスダードを。ホットサンドメーカーとはまた違った味わいで思わず笑顔になります。

お弁当も本人と周りをびっくりさせないよう、鋭意努力中です。怪我が明けても続けていようと、(今は)思っているところです。

蓄積の大切さ

蓄積の大切さ

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「自分自身を生きる」

1215 2021.5.16

私の名前は史明と書いて「ふみあき」と読み・呼びます。少年期からはこの名前が気に入らなく、何か他の名前だったらいいのにと思ったり、実際に親に詰問したりしていました。すると、両親が「他に案があった」と言ったので、期待して「何だった?」と聞くと「まさあき」だと。どうやらその頃スパイダース(知らんけど)が流行してたようで、堺正章さんにあやかって、明の字は我が家の男系子孫に宛てられる文字として「正明」だったようです。もっと違った感じの名前であったら歯がゆかったのですが、正直、どちらでも一緒のような気もしましたが、その日から「史明」も受け入れることにしています。

さて、私は「史明」として生きているでしょうか。これまで様々な経験や環境に身を置き、多くの人の声や情報が入ってくる中で生きてきました。この歳になって(46かな)、なかなか自分自身を生きるのは難しいことだとも感じるようになっています。子どもたちには思いっきり自分自身を生きてほしいなと願っています。

写真は今年の岩手日報のキャビネコンテストに選んでいただいたもの。どちらが入選かわかりますか?

自分自身を生きる

自分自身を生きる

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「無関心と無関係」

1214 2021.5.2

無関心と無関係は似た言葉ですが、意味合いは違ってきます。たとえば「政治」に置き換えて考えてみます。ある人が「私は政治には無関心だから選挙には行かない」と言ったとします。今であれば18歳以上の男女が選挙権を持っています。日本国民であれば誰でもという意味ですが、あくまで「選挙権=権利」です。それを行使するかしないかは本人の自由意志によります。ただし、ここまで来るのは決して平坦ではなく、最初は男子だけ、しかも国税をいくら以上納める者にしか選挙権は与えられていませんでした。実に国民の1%だったそうです(1889年)。それから徐々に納税基準が減額され、やがて撤廃され、25歳だった年齢もさがり、1945年(戦後)にはついに女子が選挙権を持つようになりました。現在は、人口割合で84%の人が選挙権を持っています。選挙権を行使すると何ができるかと言うと「政治に参加する」ことです。ここがネックで最初のように「自分は政治には無関心だから投票しない」という人は少なくありません。もっとも大きな選挙である国政選挙の投票率は最低だと52%、最高でも77%程度です。半分か1/4の人は「選挙に行っていない」のです。これが「無関心」の数字です。

しかし、無関心であっても「無関係ではいられない」のが政治の力です。部活やサークルであれば、無関心であれば入部することなく、それ以降も無関係でいられます。部費の徴収や練習や大会への参加を要請されることもありません。しかし、政治は無関心であっても、無関係ではいられません。投票に行かなくても消費税は増額されますし、選挙に行かなくても原発は再稼働します。平時にどれだけ「国民の生活を考えろ!」「オリンピック反対!」と声を上げたり、デモをしても、選挙に行かないことには政治の局面は変えることができません。それゆえ無関係でいられないことに対して、無関心でいるのはとても損なことです。選挙権を行使しなければ、自分自身に不利益を被ったり、不可解な従順を強いられたり、自分の考えや希望とは違う生き方をしなくてはならなくなります。だから、無関係でいられないことに対して無関心でいることは損な決断といえます。自分にとって、大いに関係あることですから、関心も持って日々考えていきたいものです。「投票してもムダ」「何やっても変わらないんでしょ」「自分の代が我慢すればいいのだから」との諦めや思考停止に追いやられたり、そんなものだと飼いならされることなく考え、行動いたしましょう。

無関心と無関係

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「こども食堂開店中です」

1213 2021.4.25

私たちの教会でこども食堂を始めて3年が経過しました。きっかけは3.11東日本大震災と支援活動です。生きている人を目の前にして何かをすること、何もできなくてもともに過ごすことを教えられました。支援活動は主に沿岸部へ出ていっての活動でしたが、この教会がある地域にも、普段から人々と関わること、日常をともに歩むことを願うようになりました。そうして始まったこども食堂、最初の二年間は学童タイムから始まり、50名を超える人々といっしょに食事をし、片付けや公園遊びをしていました。昨年来はコロナ禍により、居場所的な活動が困難となり、お弁当テイクアウトで活動を続けています。利用枠は50食ですが、食材やボランティアを調整し77食のお弁当を調理、お手渡しすることができました。また、お弁当だけでは寂しいので、フリーマーケットを設置開催し、学用品や日用品が格安で手に入れられ喜ばれています。マスク越しに会話をしますが、ちょっとしたこの時間が、確かな力や支え、互いの喜びになることを実感しています。

昨年度からひとり親家庭、生活困窮家庭の方々とのつながりも増え新年度からは少し拡大しての活動を計画中です。日曜の礼拝はもちろんのこと、平日にも地域に息づく教会としてお供できましたら幸いです。新年度もよろしくお願いします。

こども食堂開店中です

こども食堂開店中です

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「【受難週のみことばと祈り】1日目」

1212 2021.3.29

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
(マルコの福音書15章34節)

罪のない神の子、イエス キリストが
私と同じ姿になって、
私と同じようにこの世に生まれ、
私が神様に犯した心の罪のすべての裁きを身代わりに背負った結果、
十字架の上で
想像をはるかに超えた
痛みと
苦しみと
残酷さと
悲しさの極限の中で発せられた一言。

イエス キリストに背負っていただいた私の罪が、
どれほど、神の愛を裏切り、悲しませ、苦しませたのか。
いったいなんのために
イエス キリストはこのような言葉を発するほどに苦しまなければならなかったのか。

その答えはただひとつ。

私を赦すため。

神様に心を向けて祈りましょう。
「神様、私の根深いみにくい心の罪を本当にごめんなさい。
神様に造っていただいたいのちなのに、心なのに、神様を無視して
自分の力で生きていけると思っていた傲慢(高慢)な心をお赦しください。
自分には力など1%もなく、すべては神様から与えられていたのに、
それに気づかず、神様以外のものを大切にしていた歩みをお赦しください。
あなたの愛の大きさ、深さ、広さを知って
これ以上の愛はないことを認めます。
その愛を何より大切に生きていきます。
あなたを十字架にかけた私をあわれんで、これからもお導きください。」

【受難週のみことばと祈り】1日目

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「3.11集会にぜひご参加を。」

1211 2021.3.10

3.11いわて教会ネットワーク主催
【3.11集会 オンライン】

明日は3月11日
東日本大震災から10年。
震災による岩手沿岸津波被災から10年。

3.11いわて教会ネットワークは今年も3.11集会を行います。
今年は残念ながらオンラインで行います。
でも全国、海外からも参加することができます!

申込方法やプログラムに関してはサイトをご覧くださり、
ぜひお申し込みくださり、
ご一緒に10年間の振り返りと、現地の報告、およびこれからのための祈りの時を持ちましょう。
https://311.ichurch.jp/10th311meeting/




#3.11 #東日本大震災 #津波被災 #岩手沿岸 #震災支援 #東日本大震災津波 #10年 #東北地方太平洋沖地震 #被災地 #復興 #復興支援

3.11集会にぜひご参加を。

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「神について」

1210 2021.2.21

神について整理すると・・・・

私たちの教会は「神」を礼拝する民です。
ひと言で「神」と言っても、世界にも多くの神々と宗教があり、それぞれ「神」を礼拝し、信じています。
本当に数多くの宗教があり、日本でも「八百万の神」と言われるほど多くの神とされるものがありますが、それらを整理すると種類(主張)としてはそれほど多くはありません。
おおよそ、以下の四つに分類することができます。いかに短くまとめますので、参考になさってください。

1.多神教(多神論)
 まず世界があり、そこから神々が生まれたとする考え。ギリシャ神話や古事記にある「神話」はすべてこれに当てはまります。
それらの神は生まれたり、死んだり、喧嘩をしたり、結婚や子を産んだりします。能力的には有限で全能とか唯一という神観がない。

2.汎神論
 「すべては神である」という哲学で「自然=神」となります。人間、動植物、石などあらゆる事物は神の現れであり、自然と神は同時に存在するので、自然がなければ神もないとする。
「ニューエイジ」と言われる新宗教もこれに当てはまります。

3.理神論
 合理的な考えを神にも当てはめたもの。たとえれば、職人が作った時計が自分で動いているように、この世界も神に造られはしたが、それ以降はいっさい介入しないという立場。
そのため、この世界には神による奇跡も啓示もあり得ず、人間の理性だけが頼りです。

4.聖書の神
 聖書は「はじめに神が天と地を創造された」と冒頭で教えています。
神が存在し、それから初めて自然・人間が創造されます。
世界が存在しなくても、神は存在しておられます。
ここでまず多神教とも汎神論とも違うことが分かります。
神はただ神であられ、自然や世界に依存しません。
また、出エジプトや主イエスのわざや復活において奇跡を起こされた事実は理神論とも違います。
聖書を通じて語ってくださる神は、自然=神の非人格な存在でもありません。
神は「愛の方」だとするのも聖書の神のみです。
大事なのは、どれが合理的で理性にピッタリくるかではなく、人間を超越したお方がおられることを認め、聖書から正しく学ぶことが大切ですね。
聖書は神様があなたに語りかけている愛のことばです。
環境や状況に振り回されることなく、人間の感覚に変化することなく、揺るがない変わらない愛のことばです。
他の神々といわれる神は、どのようにあなたに語りかけているでしょうか?

ほんものを見分ける賢さをもちたいものです。

神について

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「人間の豊かさ」

1209 2021.2.7

【人間の豊かさ】  牧師コラム
コンピューターの進化はすさまじいものがあります。
それを開発したのは人間ではありますが、AI(Artificial Intelligence:人工知能)によって事務、警備、運転、店員、集金といった職業が「人間から奪われる」のではないかとも言われています。
また、囲碁では圧倒的な世界王者がAIに敗れたのをきっかけにプロ引退を表明してもいます。
便利や頭脳の良さ、効率を極めるのがAIかもしれません。
しかし、人間の存在価値を揺るがせたり、人間の活動意欲・創作意欲を奪われてしまっては元も子もありません。
確かに、AIやコンピューターに勝てない分野を人間は持っています。
しかし、機械的な作業で競うことがすべてではありません。
では、機械が苦手としている分野は何でしょうか。
「感情」はその一つです。
嬉しい、悔しい、美しい、胸が震える、悲しい、涙が出る・・・こういった気持ちと心の動きは、人間の持つ豊かさの一つです。
時に「感情的だ」と負のイメージで語られることも多いですが、感情は神から与えられた素晴らしい賜物です。
機械に教えても絶対に身に付きません。
また「総合的に考える」ことも人間にしかできない素晴らしい長所です。
たとえば「情理を尽くして語る」ということを考えてみます。
この「情理」とは「人情と道理」です。当事者の気持ちをよくくみ取り、同時に道理にかなうようにすることです。
AIは「情理を尽くす」ことができません。
たとえば、本当は身体が痛いけれども「やれます!」と人が言えば「この人はやる」という判断しかできないからです。
その人がどのような表情で、気持ちで、心でその言葉を言ったのかを読み取ることは不可能です。
しかし、人間はこれら両方を成り立たせることができます。
それは、「道理(理論、正しいこと)」を振りかざして「情(相手の気持ち、場の表情)」を無視して踏みにじるといったことに躊躇を覚えるのが人間の良さだからです。
あるいは「情」にばかり傾いて、「道理」をまったく考えず軽んじることもおかしいと気づけるのも人間の良さだからです。

私たちは、コンピューター全盛期(今後ますますその力に圧倒されることでしょう)に生きてます。
しかし、決して見失っていけないのは「人間の持つ豊かさ」です。
それはとても複雑な心の動きや表情をくみ取り、決して道理でははじき出せない対応をなすからです。
それを【愛】というのかもしれませんね。





#教会 #キリスト教 #聖書の教え #神 #コンピューター #AI #ArtificialInteligence #人工知能 #人間 #存在価値 #人間と機械 #人間の豊かさ #機械にない豊かさ

人間の豊かさ

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「冬を楽しむ」

1208 2021.1.20

今年の盛岡は例年よりも寒く、雪が多い模様。凛と張りつめる銀世界は歩くだけ、呼吸するだけでも気持ちよいのが体感できます。
今は感染症対策でどこも換気が必要ですが、人間の身体もただの呼吸よりこうした肌感覚や細胞的な呼吸で入れ替えするのも生きる中で大事だと思います。

私の今年の個人スローガンは「シンプルに」。
あまり多くを求めず、欲張らず、惑わされずに過ごすことです。
そのために語学、手帳、読書において意識的に力を注ぎたいと考えています。
そのための小さなアイテムも買ってしまいました。またご紹介しますね。

あまり多く詰めすぎないスケジュールだからこそ、
雪が降ればトトロを作ったり、天候がよさそうだと次女とスキーに行ったりなどの正月を過ごしました。
安全運転、安全歩行、安全行動でこの冬を楽しみたいと思います。

冬を楽しむ

冬を楽しむ

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盛岡みなみ教会の牧師・大塚史明と妻の朗美による日記です。ここをご覧くだされば牧師や教会なんて別世界というようなイメージは払拭されることでしょう。どうぞ楽しんでください。

お弁当の楽しみ

1217 2021.6.11

お弁当の楽しみ

お弁当の楽しみ

「お弁当」はどうして他の食事と違うのでしょう。いや、正確には他の食事とは違った美味しさを感じるのでしょう。そんなことを考えながら、昨日至ったのは「作る人と食べる人との距離」です。普段の食事は作ればそのままダイレクトに、その場で食べることが多いものです。家庭であっても外食であってもそうですね。けれど、お弁当はアツアツでもなければ、ヒエヒエでもない。入れる食材も、食べる時刻も、持ち運びの方法も、保存の場所も難しい!それでも、お弁当箱を開けたり、口に運んだときの幸せ度は別格のものがあります。また、作った側は「今頃、食べているかな」「全部食べてくれたかな」などと想像する楽しみもあります。

昨日のこども食堂のメインは「鶏の唐揚げ」でした。お肉の中まで熱を通し、かつ硬くならないように・・・試行錯誤を繰り返しながらたどり着いたのは「余熱で仕上げる」こと。揚げきってしまうと火の通りは良いものの、食感が損なわれますが、この方法はバッチリでした。一緒に作業くださる方の太鼓判のひと言が決め手。味つけ以外にも料理の決め手はあるものですね!妻も、家庭やこども食堂の「味付け番」(注:番長ではありませんよ)を長年仰せつかっています。その責任感、素晴らしいと再発見です。

写真はこども食堂のお弁当と今朝の次女用のお弁当。幾度か肉巻きおにぎりをしましたが、今朝のは焼いている自分が微笑むほどの出来栄え。ただ、味が濃かった・・・次、もっと美味しいもの作るからね。父より。

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蓄積の大切さ

1216 2021.5.23

蓄積の大切さ

蓄積の大切さ

妻が手首を捻挫したことから、調理の大役を担うようになって2週間ほど。それまで時折食事作りをしていたものの、あくまで気まぐれスポット参戦。日常となると、献立から買い物計画、在庫管理など調理以外にやること満載なのだ!と気づきました。結婚以来20年弱ずっっとこのことをしてくれていたのだと妻に感謝です。

さて、自分でもやや心配気味に始まったのですが、やってみると楽しいもので、出来上がっていく様と美味しく食べてくれる様子に清涼感のような満足をいただいています。色々とメニューもチャレンジしていて、自分でも飽きずに取り組めていることは嬉しい発見です。ただ、これまでの蓄積がないので、毎回ネット検索と動画が頼り。いつになったら、自己に蓄積されてある程度できるようになるのでしょうか。あらためて積み上げの大切さを教えてもらいました。

先にも書いたように自分でも飽きないように、新たな品を作っていますが、このお昼は「韓国屋台サンド」を作りました。食パンをホットプレートで温めておいて焼き色を付け、はちみつやヨーグルトなどお好みのソースをかけておき、キャベツと卵を混ぜたものをフライパンに。その上から刻んだハムととろけるチーズを載せて裏面も焼く。それを食パンの上に鎮座させ、ケチャップやマスダードを。ホットサンドメーカーとはまた違った味わいで思わず笑顔になります。

お弁当も本人と周りをびっくりさせないよう、鋭意努力中です。怪我が明けても続けていようと、(今は)思っているところです。

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自分自身を生きる

1215 2021.5.16

自分自身を生きる

自分自身を生きる

私の名前は史明と書いて「ふみあき」と読み・呼びます。少年期からはこの名前が気に入らなく、何か他の名前だったらいいのにと思ったり、実際に親に詰問したりしていました。すると、両親が「他に案があった」と言ったので、期待して「何だった?」と聞くと「まさあき」だと。どうやらその頃スパイダース(知らんけど)が流行してたようで、堺正章さんにあやかって、明の字は我が家の男系子孫に宛てられる文字として「正明」だったようです。もっと違った感じの名前であったら歯がゆかったのですが、正直、どちらでも一緒のような気もしましたが、その日から「史明」も受け入れることにしています。

さて、私は「史明」として生きているでしょうか。これまで様々な経験や環境に身を置き、多くの人の声や情報が入ってくる中で生きてきました。この歳になって(46かな)、なかなか自分自身を生きるのは難しいことだとも感じるようになっています。子どもたちには思いっきり自分自身を生きてほしいなと願っています。

写真は今年の岩手日報のキャビネコンテストに選んでいただいたもの。どちらが入選かわかりますか?

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無関心と無関係

1214 2021.5.2

無関心と無関係

無関心と無関係は似た言葉ですが、意味合いは違ってきます。たとえば「政治」に置き換えて考えてみます。ある人が「私は政治には無関心だから選挙には行かない」と言ったとします。今であれば18歳以上の男女が選挙権を持っています。日本国民であれば誰でもという意味ですが、あくまで「選挙権=権利」です。それを行使するかしないかは本人の自由意志によります。ただし、ここまで来るのは決して平坦ではなく、最初は男子だけ、しかも国税をいくら以上納める者にしか選挙権は与えられていませんでした。実に国民の1%だったそうです(1889年)。それから徐々に納税基準が減額され、やがて撤廃され、25歳だった年齢もさがり、1945年(戦後)にはついに女子が選挙権を持つようになりました。現在は、人口割合で84%の人が選挙権を持っています。選挙権を行使すると何ができるかと言うと「政治に参加する」ことです。ここがネックで最初のように「自分は政治には無関心だから投票しない」という人は少なくありません。もっとも大きな選挙である国政選挙の投票率は最低だと52%、最高でも77%程度です。半分か1/4の人は「選挙に行っていない」のです。これが「無関心」の数字です。

しかし、無関心であっても「無関係ではいられない」のが政治の力です。部活やサークルであれば、無関心であれば入部することなく、それ以降も無関係でいられます。部費の徴収や練習や大会への参加を要請されることもありません。しかし、政治は無関心であっても、無関係ではいられません。投票に行かなくても消費税は増額されますし、選挙に行かなくても原発は再稼働します。平時にどれだけ「国民の生活を考えろ!」「オリンピック反対!」と声を上げたり、デモをしても、選挙に行かないことには政治の局面は変えることができません。それゆえ無関係でいられないことに対して、無関心でいるのはとても損なことです。選挙権を行使しなければ、自分自身に不利益を被ったり、不可解な従順を強いられたり、自分の考えや希望とは違う生き方をしなくてはならなくなります。だから、無関係でいられないことに対して無関心でいることは損な決断といえます。自分にとって、大いに関係あることですから、関心も持って日々考えていきたいものです。「投票してもムダ」「何やっても変わらないんでしょ」「自分の代が我慢すればいいのだから」との諦めや思考停止に追いやられたり、そんなものだと飼いならされることなく考え、行動いたしましょう。

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こども食堂開店中です

1213 2021.4.25

こども食堂開店中です

こども食堂開店中です

私たちの教会でこども食堂を始めて3年が経過しました。きっかけは3.11東日本大震災と支援活動です。生きている人を目の前にして何かをすること、何もできなくてもともに過ごすことを教えられました。支援活動は主に沿岸部へ出ていっての活動でしたが、この教会がある地域にも、普段から人々と関わること、日常をともに歩むことを願うようになりました。そうして始まったこども食堂、最初の二年間は学童タイムから始まり、50名を超える人々といっしょに食事をし、片付けや公園遊びをしていました。昨年来はコロナ禍により、居場所的な活動が困難となり、お弁当テイクアウトで活動を続けています。利用枠は50食ですが、食材やボランティアを調整し77食のお弁当を調理、お手渡しすることができました。また、お弁当だけでは寂しいので、フリーマーケットを設置開催し、学用品や日用品が格安で手に入れられ喜ばれています。マスク越しに会話をしますが、ちょっとしたこの時間が、確かな力や支え、互いの喜びになることを実感しています。

昨年度からひとり親家庭、生活困窮家庭の方々とのつながりも増え新年度からは少し拡大しての活動を計画中です。日曜の礼拝はもちろんのこと、平日にも地域に息づく教会としてお供できましたら幸いです。新年度もよろしくお願いします。

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【受難週のみことばと祈り】1日目

1212 2021.3.29

【受難週のみことばと祈り】1日目

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
(マルコの福音書15章34節)

罪のない神の子、イエス キリストが
私と同じ姿になって、
私と同じようにこの世に生まれ、
私が神様に犯した心の罪のすべての裁きを身代わりに背負った結果、
十字架の上で
想像をはるかに超えた
痛みと
苦しみと
残酷さと
悲しさの極限の中で発せられた一言。

イエス キリストに背負っていただいた私の罪が、
どれほど、神の愛を裏切り、悲しませ、苦しませたのか。
いったいなんのために
イエス キリストはこのような言葉を発するほどに苦しまなければならなかったのか。

その答えはただひとつ。

私を赦すため。

神様に心を向けて祈りましょう。
「神様、私の根深いみにくい心の罪を本当にごめんなさい。
神様に造っていただいたいのちなのに、心なのに、神様を無視して
自分の力で生きていけると思っていた傲慢(高慢)な心をお赦しください。
自分には力など1%もなく、すべては神様から与えられていたのに、
それに気づかず、神様以外のものを大切にしていた歩みをお赦しください。
あなたの愛の大きさ、深さ、広さを知って
これ以上の愛はないことを認めます。
その愛を何より大切に生きていきます。
あなたを十字架にかけた私をあわれんで、これからもお導きください。」

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3.11集会にぜひご参加を。

1211 2021.3.10

3.11集会にぜひご参加を。

3.11いわて教会ネットワーク主催
【3.11集会 オンライン】

明日は3月11日
東日本大震災から10年。
震災による岩手沿岸津波被災から10年。

3.11いわて教会ネットワークは今年も3.11集会を行います。
今年は残念ながらオンラインで行います。
でも全国、海外からも参加することができます!

申込方法やプログラムに関してはサイトをご覧くださり、
ぜひお申し込みくださり、
ご一緒に10年間の振り返りと、現地の報告、およびこれからのための祈りの時を持ちましょう。
https://311.ichurch.jp/10th311meeting/




#3.11 #東日本大震災 #津波被災 #岩手沿岸 #震災支援 #東日本大震災津波 #10年 #東北地方太平洋沖地震 #被災地 #復興 #復興支援

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神について

1210 2021.2.21

神について

神について整理すると・・・・

私たちの教会は「神」を礼拝する民です。
ひと言で「神」と言っても、世界にも多くの神々と宗教があり、それぞれ「神」を礼拝し、信じています。
本当に数多くの宗教があり、日本でも「八百万の神」と言われるほど多くの神とされるものがありますが、それらを整理すると種類(主張)としてはそれほど多くはありません。
おおよそ、以下の四つに分類することができます。いかに短くまとめますので、参考になさってください。

1.多神教(多神論)
 まず世界があり、そこから神々が生まれたとする考え。ギリシャ神話や古事記にある「神話」はすべてこれに当てはまります。
それらの神は生まれたり、死んだり、喧嘩をしたり、結婚や子を産んだりします。能力的には有限で全能とか唯一という神観がない。

2.汎神論
 「すべては神である」という哲学で「自然=神」となります。人間、動植物、石などあらゆる事物は神の現れであり、自然と神は同時に存在するので、自然がなければ神もないとする。
「ニューエイジ」と言われる新宗教もこれに当てはまります。

3.理神論
 合理的な考えを神にも当てはめたもの。たとえれば、職人が作った時計が自分で動いているように、この世界も神に造られはしたが、それ以降はいっさい介入しないという立場。
そのため、この世界には神による奇跡も啓示もあり得ず、人間の理性だけが頼りです。

4.聖書の神
 聖書は「はじめに神が天と地を創造された」と冒頭で教えています。
神が存在し、それから初めて自然・人間が創造されます。
世界が存在しなくても、神は存在しておられます。
ここでまず多神教とも汎神論とも違うことが分かります。
神はただ神であられ、自然や世界に依存しません。
また、出エジプトや主イエスのわざや復活において奇跡を起こされた事実は理神論とも違います。
聖書を通じて語ってくださる神は、自然=神の非人格な存在でもありません。
神は「愛の方」だとするのも聖書の神のみです。
大事なのは、どれが合理的で理性にピッタリくるかではなく、人間を超越したお方がおられることを認め、聖書から正しく学ぶことが大切ですね。
聖書は神様があなたに語りかけている愛のことばです。
環境や状況に振り回されることなく、人間の感覚に変化することなく、揺るがない変わらない愛のことばです。
他の神々といわれる神は、どのようにあなたに語りかけているでしょうか?

ほんものを見分ける賢さをもちたいものです。

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人間の豊かさ

1209 2021.2.7

人間の豊かさ

【人間の豊かさ】  牧師コラム
コンピューターの進化はすさまじいものがあります。
それを開発したのは人間ではありますが、AI(Artificial Intelligence:人工知能)によって事務、警備、運転、店員、集金といった職業が「人間から奪われる」のではないかとも言われています。
また、囲碁では圧倒的な世界王者がAIに敗れたのをきっかけにプロ引退を表明してもいます。
便利や頭脳の良さ、効率を極めるのがAIかもしれません。
しかし、人間の存在価値を揺るがせたり、人間の活動意欲・創作意欲を奪われてしまっては元も子もありません。
確かに、AIやコンピューターに勝てない分野を人間は持っています。
しかし、機械的な作業で競うことがすべてではありません。
では、機械が苦手としている分野は何でしょうか。
「感情」はその一つです。
嬉しい、悔しい、美しい、胸が震える、悲しい、涙が出る・・・こういった気持ちと心の動きは、人間の持つ豊かさの一つです。
時に「感情的だ」と負のイメージで語られることも多いですが、感情は神から与えられた素晴らしい賜物です。
機械に教えても絶対に身に付きません。
また「総合的に考える」ことも人間にしかできない素晴らしい長所です。
たとえば「情理を尽くして語る」ということを考えてみます。
この「情理」とは「人情と道理」です。当事者の気持ちをよくくみ取り、同時に道理にかなうようにすることです。
AIは「情理を尽くす」ことができません。
たとえば、本当は身体が痛いけれども「やれます!」と人が言えば「この人はやる」という判断しかできないからです。
その人がどのような表情で、気持ちで、心でその言葉を言ったのかを読み取ることは不可能です。
しかし、人間はこれら両方を成り立たせることができます。
それは、「道理(理論、正しいこと)」を振りかざして「情(相手の気持ち、場の表情)」を無視して踏みにじるといったことに躊躇を覚えるのが人間の良さだからです。
あるいは「情」にばかり傾いて、「道理」をまったく考えず軽んじることもおかしいと気づけるのも人間の良さだからです。

私たちは、コンピューター全盛期(今後ますますその力に圧倒されることでしょう)に生きてます。
しかし、決して見失っていけないのは「人間の持つ豊かさ」です。
それはとても複雑な心の動きや表情をくみ取り、決して道理でははじき出せない対応をなすからです。
それを【愛】というのかもしれませんね。





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冬を楽しむ

1208 2021.1.20

冬を楽しむ

冬を楽しむ

今年の盛岡は例年よりも寒く、雪が多い模様。凛と張りつめる銀世界は歩くだけ、呼吸するだけでも気持ちよいのが体感できます。
今は感染症対策でどこも換気が必要ですが、人間の身体もただの呼吸よりこうした肌感覚や細胞的な呼吸で入れ替えするのも生きる中で大事だと思います。

私の今年の個人スローガンは「シンプルに」。
あまり多くを求めず、欲張らず、惑わされずに過ごすことです。
そのために語学、手帳、読書において意識的に力を注ぎたいと考えています。
そのための小さなアイテムも買ってしまいました。またご紹介しますね。

あまり多く詰めすぎないスケジュールだからこそ、
雪が降ればトトロを作ったり、天候がよさそうだと次女とスキーに行ったりなどの正月を過ごしました。
安全運転、安全歩行、安全行動でこの冬を楽しみたいと思います。

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