日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

三日牧師

盛岡みなみ教会の牧師・大塚史明と
妻の朗美による日記です。
ここをご覧くだされば牧師や教会なんて別世界
というようなイメージは払拭されることでしょう。
どうぞ楽しんでください。

牧師・大塚史明、妻・朗美、娘・恵連、協音

「【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】」

1224 2021.10.4

世の中では10月になるとハロウィンのお祭りで賑わっていますね。
スーパーでもおやつのパッケージがハロウィン、ショッピングモールでもハロウィンの飾り付けだらけです。

ハロウィン(Halloween)はいったい何のお祭りかご存知ですか?

キリスト教の行事だと思っている人が多いようですね。
しかし、ハロウィンはキリスト教の行事ではありません!!
聖書の教えにもありません。
悪魔のとらえ方を大きく間違えています。
悪魔が降りてくる日でも、
聖書に記されている先祖(聖者??)が降りてくる日でもありません。
聖書にはそのようなことは一切書かれていません。

悪魔の装いをしたら、悪魔が仲間だと思うというような愚かな考え方で、
ヨーロッパの伝統やさまざまな国の言い伝えが入り混じってできあがったわけのわからない行事です。

『悪魔を軽視した危険な行為の行事です。』

私たちが本当に恐るべき方は悪魔ですか?

実は悪魔でさえ、聖書の神様を認めて怖がっているのです。
本当に畏れるべきお方は、
天地万物を造り、全知全能の唯一の神であり、
その全能の愛であなたを覆い守り導き救う方です。

神様の祝福の恵みの中で平安の人生を送りたいなら、
悪魔をもてあそぶような危険な行事には参加しないよう、
NOの姿勢をとりましょう。

神様が悲しむ、神様が嫌うことを止め、
神様が喜ぶことを選んで過ごしましょう。






#ハロウィン #ハロウィーン #halloween #Halloween #キリスト教ではない #悪魔礼拝の行事 #悪魔軽視の行事 #ハロウィンの本当の意味 #ハロウィンとは #ハロウィンの意味 #聖書 #キリスト教

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

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「日本同盟基督教団について】」

1223 2021.9.22

今年は盛岡みなみ教会が所属する日本同盟キリスト教団の宣教130周年なので、今月23日には記念大会がオンライで開かれます。

日本同盟キリスト教団は1891年11月22日、横浜に15名の宣教師たちが上陸し、開拓伝道をスタートさせたのが始まりです。
呼びかけはフレデリック・フランソンというスウェーデン人でジョージ・ミュラー(英国での孤児院等)やハドソン・テーラー(中国宣教)などが同時代に刺激しあい主の働きを進めた仲間でした。
15人の中には牧師、信徒、そして女性も多く含まれていました。
「伝道が困難な地域へ」をモットーに伊豆半島、房総半島、飛騨地方、アイヌ人伝道に力を注ぎました。
伝道の成果によって各地に教会が誕生しました。
約30年後の1922年に日本同盟基督協会を設立し、教団としての歩みが始まっています。
戦時下は、宗教団体法施行にともなって1940年日本聖化基督教団となり、日本基督教団第8部に所属することとなりました。
この間、礼拝でも「ゼロ戦のために献金」とか「宮城遥拝(天皇と皇居に向かって敬礼する)」が当然のようになされていたことが、各教会に残された週報等によって明らかにされています。

みなみ教会の週報や説教要旨、このコラムも後の時代に大きな意味を持つことにもなる大事なものです。
ぜひ、そういう位置づけで週報を取り扱ってみてください。

戦時下の政局に従う形で形成された日本聖化基督教団から、一部の教会が離脱し、1948年に現在の「日本同盟基督教団」が発足しました。
戦争責任をしっかりと告白し、悔い改めの場所に立って、たましいの救いのために伝道に励むことを志した教会が集まったのがその始まりです。
よく「聖書を信じているなら、なぜこんなにもたくさんの教団、教派があるのか」「唯一の神を信じると言い、他宗教に不寛容なのは理解できない」など疑問を抱いたり、投げかけられることがあります。
教団、教派に関しては、そのルーツとなった宣教団体や宣教師、牧師を派遣して支える母体によるところが大部分かと考えます。
政治のように、対立したり仲が悪いということでは決してありません。
逆に、どこが正しくて、どこが間違っているという枝葉末節の試みは、かえって分断や憎悪を生み出しかねません。
単に生み出された歴史の違いであって、争いのために宗派があるわけではないのです。
聖書とは明らかに異なる主義主張を唱えているとか、伝道の障害になるようなスタイルを持っているならばそれらは問題ですが、
信仰生活や教会運営に関わる細かな部分に関してはそれぞれの特徴を有していることで、より多くの方に福音が届く可能性を秘めています。
イエスさまの弟子には、漁師や取税人、そして熱心党員(過激派)もいました。

「あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます」(ピリピ1:18)

人間の歴史を通して御心をなされる主の導きを、心に留めておきましょう。

重ねて、明日行われる130周年大会に多くの方々が参加し、神様の歴史をほめたたえ、その恵みを味わうときであることを願っています。

日本同盟基督教団について】

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「レストアした自転車のお話。」

1222 2021.9.12

自分の手でするということは、多くのことを学びながら、模索しながら、進め、下がり、また進んでいくということなのだというレッスンでした。
学校や世の試験は問題があり、正解を探し出したり、最適解を早道で割り出すことで通過することができます。
そういう勉強はよくしたように思いますが、自分でやってみて考える、それがうまくいくように改善するという試験は避けてきたように思うのです。
自分は不器用だから、既製品を買ったほうが早いし丈夫・・・そんな思考回路と生活様式に慣れていた自分にとって、新鮮な道でした。

自転車をバラして持てるようになったフレーム。
その塗装を全部剥離して、磨きます。
細かい部分を剥離するのは溶剤だけでは無理なので、金ブラシや耐水ヤスリを使って数日かけて剥がしてあげます。
こうして、ようやくご対面できた下地から塗装が始まります。
今回は元々が黒だったので、白にしようと取り掛かりましたが、一度自転車に詳しい方に見せると「これはまだ試験段階でしょ?下地を見せないと」と出直しを命じられ、DIYの深さを知りました。
良い塗装は下地を見せるものなんですよ、と格言をいただいて、持ち帰り再挑戦。
そうして段階を学んでいくことには根気や忍耐もいりますが、より良いものにするためにという目的が意欲を掻き立ててくれました。

人間にも「育ちが出る」などと言いますが、自分の下地も言動や振る舞いに出るものですね、きっと。
見せられる下地であるために、磨き、磨かれたいと思った夏でした。

レストアした自転車のお話。

レストアした自転車のお話。

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「賜物開花の音がする」

1221 2021.9.8

親からの遺伝、いや授かった賜物は何でしょうか。
私はなんといっても家に聖書があったことが最大の贈り物です。
その次は・・・おそらく家族の突然変異で運動神経ももらいました。
そして、最大の遺伝は「不器用さ」かもしれません(お父様、ごめんなさい)。
母は手先が器用で絵も字も上手。父はその逆っぽいです(お父様、重ねてごめんなさい)。

そんな遺伝子を強めに受けた私は、アイデアはあるもののそれを実現する手立てや技術、準備や入念さが悲しいほど備わっておりませんでした。
しかし、今年の変革でしょうか、DIYの波がここにもやってきて、ひそかに取り組んだものがありました。
それが「自転車のオーバーホール(レストアかな)」です。
長女が生まれた際、自分用に購入したマウンテンバイクが古くなり、このたび新調したのですが、その古い自転車をオブジェにできないかと考えてから触り始め、次第に色々とできそうなことが分かって、次女(中学生)への贈り物にすべく取り組みました。

内容は、塗装を全剥離してやり直す。
傷んだ部品を取り替える(ワイヤー、チェーン、シート、タイヤ一式)。
使えるものを磨く。部品をなくさないようにする、ですね。
全てバラしたので、完成までいけるか半信半疑でしたが、知人に自転車のエキスパートを紹介いただき、手ほどきを受けながらこのたびめでたく完成しました!

他にどこにもない最高の1台で、何か次女の手に渡るのが惜しいほど。
途中の失敗もありましたが、やり直す工程で新たに良いアイデアがひらめいたりと楽しい作業でした。

早く完成させたい!一心で時間を見つけては触っていましたが、いざ組み上がると寂しいものです・・・・。

そして、次のDIYのターゲットを探すという好循環にハマっています。
何よりも不器用な自分がこういうことができるようになるのが一番楽しいのかもしれません。
妻からも驚かれています。笑

皆様にも今までにない、あるいは気づかなかった賜物(才能)が開花するかもしれませんね。
まずは諦めないでチャレンジ!

賜物開花の音がする

賜物開花の音がする

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「対話の道しるべ」

1220 2021.8.2

「対話」はコミュニケーションの最重要要素です。よく「人は見た目が9割」とか言われますが、それでは不十分です。言葉を交わさないなら、コミュニケーションは成り立たないからです。もちろん、面接など限られた時間内では表情や身なり、仕草も判断材料とされるでしょうが、それらは一時的、瞬間的なもので、「対話」にまさる相互理解の道はないと言えるでしょう。それでは、どのように「対話」をすればよいでしょうか。

第一に「対話ができる」というだけで、相手との関係は良好と言えます。一対一でも、団体との交渉も、国同士の外交も「対話」という方法を取れることが大事だからです。対話が成り立たないとしたら、力関係がはっきりしすぎてるか、敵対関係にあるかです。例えば上司による一方的な命令・辞令、憎しみや怒りによって対話が不可能な関係、暴力やスパイ行為によって相手を支配する場合もあります。それらを除けば、「対話ができる」ことはより良好な関係を築く可能性、土台に乗っているということです。ここから始められれば、次のステップに向かうことができますね。

第二に「相手の言っていることを聞く」ことです。これは簡単、当たり前のようでいて本当に難しいのです。音として「聞く」ことはできても、心をともなって「聴く」ことはなかなかできるものではありません。ついつい相手の話を遮って「この前もそう言ってたよね」「私はそう思わないけど」「また今度にしよう」と相手の言っていることを聞くことをやめてしまっているのです。ペットや植物が良いのはこの点にあります。彼らは何も反論をしないので「本当によく聞いてくれる」「あなただけが私を分かってくれているのね」と感じます。人は、自分の話を聞いてもらうだけで大変慰めを受けるものです。ついつい親身になってアドバイスを、と気を張らなくても、聞くことで「対話は成立」するのです。

第三に「相手との溝を気にしない」ことです。対話をすれば100%相手のことが分かってスッキリするかと言えばそうでない場合も多々あります。話を聞いて傷ついたり、自分が想像していたのとは違う考えを相手が持っていたことが分かりショックを受けたりもします。対話はお互いの間にある溝を完全になくすものではありません。それをゴールにしてしまうと自分は対話力がない、コミュニケーション障害だ・・・と落ち込み、億劫になってしますいことも。対話によっては、少なくとも「相手がそのように考えていたのだ」と分かることが大事です。身近な人とこそ、幅と奥行きのある対話を心がけ実践したいと願います。

(写真は新緑の盛岡市内、中津川ほとりにて)

対話の道しるべ

対話の道しるべ

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「当たり前のことを、バカみたいに?、コツコツと。」

1219 2021.7.11

以下は、盛岡みなみ教会の週報(毎週の礼拝プログラムやメッセージ、祈祷課題が掲載されているもの)の牧師コラムに綴ったものです。ぜひご参照ください。ちなみに、写真と本文は関係がありません。もう8年位前の一枚です。本に囲まれて幸せそうだ。

オスカー・ワイルドという作家(劇作、小説等)をご存じの方も多いかと思います。彼の作品「幸福の王子」は絵本にもなったりして、金を剥ぎ取って与える王子とそれをどこへでも運ぶため羽ばたき続けるツバメの姿は、まるで神の見えない御手を見える化(可視化・・・最近よく使われますね)したようで、本当に慰められる物語です。「サロメ」は新約聖書から着想を得た話ですね。マタイ14章やマルコ6章に出てくる「ヘロディアの娘」こそサロメで、彼の作品ではバプテスマのヨハネに口づけをするため、様々な画策をし、王の前で踊った褒美として、彼の首を願い、そこで願いを果たすというものです。そのワイルドには、「ドブに捨てられた、まだ打ち上げられていない花火を見て泣いたとき、自分のようだと泣いた」(2016年、「木皿食堂」、双葉文庫、p.18)というエピソードがあるそうです。花火は楽しいものです。私の幼少時代でも特別なものでした。夏の時期に特別なイベントがなければそうそうしませんでした。ワイルドの生きた時代であればもっと格別な感があったはずです。しかし、それでも花火は使われることなく捨てられた。打ち上がってこその花火・・・しかしその前に見捨てられたその花火と自分を重ねての涙だったそうです。

 このエピソードを読んでから、自分の生活のことや価値観について思い巡らしています。少年時代に特別だったことが、今や当たり前どころか、なんとも思っていないこともあるのではないか。それは突き詰めると、神の恵みを当然だと思い込み、喜びや賛美をするどころか、またこれかと辟易としたり、ため息を主に向かって吐き出しているのではないか?とチクチク心が刺される思いにもなったりします。また、自分自身だけでなく、家族や普段関わりのある方々にも多少なりとも影響を与えてしまっているのではないだろうか。ある先生が「ABCを大事にしなさい」と教えたそうです。それは「A=当たり前のことを、B≡バカみたいに、C=コツコツと」だそうです。それこそ成熟の道であるような気がします。分かった気でいて分かっていないこと、それが覆されること、気付かされて恥ずかしく思うこともあります。しかし、その当然だと思うことを、愚直・実直に、コツコツとやり続ける。そこに自分の生きる道の確かさと失わない喜びを見出していたいと願います。このエピソードを書いている「木皿泉」という脚本作家はご夫妻での共同ペンネームです。ドラマ「野ブタ。をプロデュースする」等で有名ですが、いつも笑顔を絶やさず、高い目標や理想ではなく、そこにある喜び、失われた宝の輝きを思い出させてくれる作家さんでお気に入りです。

当たり前のことを、バカみたいに?、コツコツと。

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「街の時間、待ちのじかん」

1218 2021.6.30

今日の午後は所用を済ませに街へ。と言っても盛岡のサイズは絶妙で、教会がある住宅街から駅まで車で5分、徒歩でゆっくり20分、自転車で10分ほど。今日は次女の自転車を借りて繰り出しました。駐車の時間や場所を気にすることなく、公園の水を飲んだり、ふと見つけた文具店をのぞいたり、入ったことのない路地を選んだりと自由自在。歩きよりも快適性もあり、自転車は良いものですね。

用が終わり、歴史ある教会の建物が建て替えのため取り壊されていたのに気づき、そのまま川べりを行くと、仲良く歩く老夫婦、メモを取る男性などとすれ違い、自分もここで時間を過ごしたいとベンチに座りました。するとあら不思議。半時間ほど記憶を失っていたようです。気づくとベンチでうたた寝をしてました。空を見上げればまた別の雲が漂い、街を包んでいました。

今年は(も)さんさ踊りは中止。もうしばらくは、盛岡人が盛岡を楽しむ時間が続きそうですね。

街の時間、待ちのじかん

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「お弁当の楽しみ」

1217 2021.6.11

「お弁当」はどうして他の食事と違うのでしょう。いや、正確には他の食事とは違った美味しさを感じるのでしょう。そんなことを考えながら、昨日至ったのは「作る人と食べる人との距離」です。普段の食事は作ればそのままダイレクトに、その場で食べることが多いものです。家庭であっても外食であってもそうですね。けれど、お弁当はアツアツでもなければ、ヒエヒエでもない。入れる食材も、食べる時刻も、持ち運びの方法も、保存の場所も難しい!それでも、お弁当箱を開けたり、口に運んだときの幸せ度は別格のものがあります。また、作った側は「今頃、食べているかな」「全部食べてくれたかな」などと想像する楽しみもあります。

昨日のこども食堂のメインは「鶏の唐揚げ」でした。お肉の中まで熱を通し、かつ硬くならないように・・・試行錯誤を繰り返しながらたどり着いたのは「余熱で仕上げる」こと。揚げきってしまうと火の通りは良いものの、食感が損なわれますが、この方法はバッチリでした。一緒に作業くださる方の太鼓判のひと言が決め手。味つけ以外にも料理の決め手はあるものですね!妻も、家庭やこども食堂の「味付け番」(注:番長ではありませんよ)を長年仰せつかっています。その責任感、素晴らしいと再発見です。

写真はこども食堂のお弁当と今朝の次女用のお弁当。幾度か肉巻きおにぎりをしましたが、今朝のは焼いている自分が微笑むほどの出来栄え。ただ、味が濃かった・・・次、もっと美味しいもの作るからね。父より。

お弁当の楽しみ

お弁当の楽しみ

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「蓄積の大切さ」

1216 2021.5.23

妻が手首を捻挫したことから、調理の大役を担うようになって2週間ほど。それまで時折食事作りをしていたものの、あくまで気まぐれスポット参戦。日常となると、献立から買い物計画、在庫管理など調理以外にやること満載なのだ!と気づきました。結婚以来20年弱ずっっとこのことをしてくれていたのだと妻に感謝です。

さて、自分でもやや心配気味に始まったのですが、やってみると楽しいもので、出来上がっていく様と美味しく食べてくれる様子に清涼感のような満足をいただいています。色々とメニューもチャレンジしていて、自分でも飽きずに取り組めていることは嬉しい発見です。ただ、これまでの蓄積がないので、毎回ネット検索と動画が頼り。いつになったら、自己に蓄積されてある程度できるようになるのでしょうか。あらためて積み上げの大切さを教えてもらいました。

先にも書いたように自分でも飽きないように、新たな品を作っていますが、このお昼は「韓国屋台サンド」を作りました。食パンをホットプレートで温めておいて焼き色を付け、はちみつやヨーグルトなどお好みのソースをかけておき、キャベツと卵を混ぜたものをフライパンに。その上から刻んだハムととろけるチーズを載せて裏面も焼く。それを食パンの上に鎮座させ、ケチャップやマスダードを。ホットサンドメーカーとはまた違った味わいで思わず笑顔になります。

お弁当も本人と周りをびっくりさせないよう、鋭意努力中です。怪我が明けても続けていようと、(今は)思っているところです。

蓄積の大切さ

蓄積の大切さ

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「自分自身を生きる」

1215 2021.5.16

私の名前は史明と書いて「ふみあき」と読み・呼びます。少年期からはこの名前が気に入らなく、何か他の名前だったらいいのにと思ったり、実際に親に詰問したりしていました。すると、両親が「他に案があった」と言ったので、期待して「何だった?」と聞くと「まさあき」だと。どうやらその頃スパイダース(知らんけど)が流行してたようで、堺正章さんにあやかって、明の字は我が家の男系子孫に宛てられる文字として「正明」だったようです。もっと違った感じの名前であったら歯がゆかったのですが、正直、どちらでも一緒のような気もしましたが、その日から「史明」も受け入れることにしています。

さて、私は「史明」として生きているでしょうか。これまで様々な経験や環境に身を置き、多くの人の声や情報が入ってくる中で生きてきました。この歳になって(46かな)、なかなか自分自身を生きるのは難しいことだとも感じるようになっています。子どもたちには思いっきり自分自身を生きてほしいなと願っています。

写真は今年の岩手日報のキャビネコンテストに選んでいただいたもの。どちらが入選かわかりますか?

自分自身を生きる

自分自身を生きる

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盛岡みなみ教会の牧師・大塚史明と妻の朗美による日記です。ここをご覧くだされば牧師や教会なんて別世界というようなイメージは払拭されることでしょう。どうぞ楽しんでください。

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

1224 2021.10.4

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

【ハロウィンは聖書の教えではなく、危険行為です】

世の中では10月になるとハロウィンのお祭りで賑わっていますね。
スーパーでもおやつのパッケージがハロウィン、ショッピングモールでもハロウィンの飾り付けだらけです。

ハロウィン(Halloween)はいったい何のお祭りかご存知ですか?

キリスト教の行事だと思っている人が多いようですね。
しかし、ハロウィンはキリスト教の行事ではありません!!
聖書の教えにもありません。
悪魔のとらえ方を大きく間違えています。
悪魔が降りてくる日でも、
聖書に記されている先祖(聖者??)が降りてくる日でもありません。
聖書にはそのようなことは一切書かれていません。

悪魔の装いをしたら、悪魔が仲間だと思うというような愚かな考え方で、
ヨーロッパの伝統やさまざまな国の言い伝えが入り混じってできあがったわけのわからない行事です。

『悪魔を軽視した危険な行為の行事です。』

私たちが本当に恐るべき方は悪魔ですか?

実は悪魔でさえ、聖書の神様を認めて怖がっているのです。
本当に畏れるべきお方は、
天地万物を造り、全知全能の唯一の神であり、
その全能の愛であなたを覆い守り導き救う方です。

神様の祝福の恵みの中で平安の人生を送りたいなら、
悪魔をもてあそぶような危険な行事には参加しないよう、
NOの姿勢をとりましょう。

神様が悲しむ、神様が嫌うことを止め、
神様が喜ぶことを選んで過ごしましょう。






#ハロウィン #ハロウィーン #halloween #Halloween #キリスト教ではない #悪魔礼拝の行事 #悪魔軽視の行事 #ハロウィンの本当の意味 #ハロウィンとは #ハロウィンの意味 #聖書 #キリスト教

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日本同盟基督教団について】

1223 2021.9.22

日本同盟基督教団について】

今年は盛岡みなみ教会が所属する日本同盟キリスト教団の宣教130周年なので、今月23日には記念大会がオンライで開かれます。

日本同盟キリスト教団は1891年11月22日、横浜に15名の宣教師たちが上陸し、開拓伝道をスタートさせたのが始まりです。
呼びかけはフレデリック・フランソンというスウェーデン人でジョージ・ミュラー(英国での孤児院等)やハドソン・テーラー(中国宣教)などが同時代に刺激しあい主の働きを進めた仲間でした。
15人の中には牧師、信徒、そして女性も多く含まれていました。
「伝道が困難な地域へ」をモットーに伊豆半島、房総半島、飛騨地方、アイヌ人伝道に力を注ぎました。
伝道の成果によって各地に教会が誕生しました。
約30年後の1922年に日本同盟基督協会を設立し、教団としての歩みが始まっています。
戦時下は、宗教団体法施行にともなって1940年日本聖化基督教団となり、日本基督教団第8部に所属することとなりました。
この間、礼拝でも「ゼロ戦のために献金」とか「宮城遥拝(天皇と皇居に向かって敬礼する)」が当然のようになされていたことが、各教会に残された週報等によって明らかにされています。

みなみ教会の週報や説教要旨、このコラムも後の時代に大きな意味を持つことにもなる大事なものです。
ぜひ、そういう位置づけで週報を取り扱ってみてください。

戦時下の政局に従う形で形成された日本聖化基督教団から、一部の教会が離脱し、1948年に現在の「日本同盟基督教団」が発足しました。
戦争責任をしっかりと告白し、悔い改めの場所に立って、たましいの救いのために伝道に励むことを志した教会が集まったのがその始まりです。
よく「聖書を信じているなら、なぜこんなにもたくさんの教団、教派があるのか」「唯一の神を信じると言い、他宗教に不寛容なのは理解できない」など疑問を抱いたり、投げかけられることがあります。
教団、教派に関しては、そのルーツとなった宣教団体や宣教師、牧師を派遣して支える母体によるところが大部分かと考えます。
政治のように、対立したり仲が悪いということでは決してありません。
逆に、どこが正しくて、どこが間違っているという枝葉末節の試みは、かえって分断や憎悪を生み出しかねません。
単に生み出された歴史の違いであって、争いのために宗派があるわけではないのです。
聖書とは明らかに異なる主義主張を唱えているとか、伝道の障害になるようなスタイルを持っているならばそれらは問題ですが、
信仰生活や教会運営に関わる細かな部分に関してはそれぞれの特徴を有していることで、より多くの方に福音が届く可能性を秘めています。
イエスさまの弟子には、漁師や取税人、そして熱心党員(過激派)もいました。

「あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます」(ピリピ1:18)

人間の歴史を通して御心をなされる主の導きを、心に留めておきましょう。

重ねて、明日行われる130周年大会に多くの方々が参加し、神様の歴史をほめたたえ、その恵みを味わうときであることを願っています。

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レストアした自転車のお話。

1222 2021.9.12

レストアした自転車のお話。

レストアした自転車のお話。

自分の手でするということは、多くのことを学びながら、模索しながら、進め、下がり、また進んでいくということなのだというレッスンでした。
学校や世の試験は問題があり、正解を探し出したり、最適解を早道で割り出すことで通過することができます。
そういう勉強はよくしたように思いますが、自分でやってみて考える、それがうまくいくように改善するという試験は避けてきたように思うのです。
自分は不器用だから、既製品を買ったほうが早いし丈夫・・・そんな思考回路と生活様式に慣れていた自分にとって、新鮮な道でした。

自転車をバラして持てるようになったフレーム。
その塗装を全部剥離して、磨きます。
細かい部分を剥離するのは溶剤だけでは無理なので、金ブラシや耐水ヤスリを使って数日かけて剥がしてあげます。
こうして、ようやくご対面できた下地から塗装が始まります。
今回は元々が黒だったので、白にしようと取り掛かりましたが、一度自転車に詳しい方に見せると「これはまだ試験段階でしょ?下地を見せないと」と出直しを命じられ、DIYの深さを知りました。
良い塗装は下地を見せるものなんですよ、と格言をいただいて、持ち帰り再挑戦。
そうして段階を学んでいくことには根気や忍耐もいりますが、より良いものにするためにという目的が意欲を掻き立ててくれました。

人間にも「育ちが出る」などと言いますが、自分の下地も言動や振る舞いに出るものですね、きっと。
見せられる下地であるために、磨き、磨かれたいと思った夏でした。

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賜物開花の音がする

1221 2021.9.8

賜物開花の音がする

賜物開花の音がする

親からの遺伝、いや授かった賜物は何でしょうか。
私はなんといっても家に聖書があったことが最大の贈り物です。
その次は・・・おそらく家族の突然変異で運動神経ももらいました。
そして、最大の遺伝は「不器用さ」かもしれません(お父様、ごめんなさい)。
母は手先が器用で絵も字も上手。父はその逆っぽいです(お父様、重ねてごめんなさい)。

そんな遺伝子を強めに受けた私は、アイデアはあるもののそれを実現する手立てや技術、準備や入念さが悲しいほど備わっておりませんでした。
しかし、今年の変革でしょうか、DIYの波がここにもやってきて、ひそかに取り組んだものがありました。
それが「自転車のオーバーホール(レストアかな)」です。
長女が生まれた際、自分用に購入したマウンテンバイクが古くなり、このたび新調したのですが、その古い自転車をオブジェにできないかと考えてから触り始め、次第に色々とできそうなことが分かって、次女(中学生)への贈り物にすべく取り組みました。

内容は、塗装を全剥離してやり直す。
傷んだ部品を取り替える(ワイヤー、チェーン、シート、タイヤ一式)。
使えるものを磨く。部品をなくさないようにする、ですね。
全てバラしたので、完成までいけるか半信半疑でしたが、知人に自転車のエキスパートを紹介いただき、手ほどきを受けながらこのたびめでたく完成しました!

他にどこにもない最高の1台で、何か次女の手に渡るのが惜しいほど。
途中の失敗もありましたが、やり直す工程で新たに良いアイデアがひらめいたりと楽しい作業でした。

早く完成させたい!一心で時間を見つけては触っていましたが、いざ組み上がると寂しいものです・・・・。

そして、次のDIYのターゲットを探すという好循環にハマっています。
何よりも不器用な自分がこういうことができるようになるのが一番楽しいのかもしれません。
妻からも驚かれています。笑

皆様にも今までにない、あるいは気づかなかった賜物(才能)が開花するかもしれませんね。
まずは諦めないでチャレンジ!

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対話の道しるべ

1220 2021.8.2

対話の道しるべ

対話の道しるべ

「対話」はコミュニケーションの最重要要素です。よく「人は見た目が9割」とか言われますが、それでは不十分です。言葉を交わさないなら、コミュニケーションは成り立たないからです。もちろん、面接など限られた時間内では表情や身なり、仕草も判断材料とされるでしょうが、それらは一時的、瞬間的なもので、「対話」にまさる相互理解の道はないと言えるでしょう。それでは、どのように「対話」をすればよいでしょうか。

第一に「対話ができる」というだけで、相手との関係は良好と言えます。一対一でも、団体との交渉も、国同士の外交も「対話」という方法を取れることが大事だからです。対話が成り立たないとしたら、力関係がはっきりしすぎてるか、敵対関係にあるかです。例えば上司による一方的な命令・辞令、憎しみや怒りによって対話が不可能な関係、暴力やスパイ行為によって相手を支配する場合もあります。それらを除けば、「対話ができる」ことはより良好な関係を築く可能性、土台に乗っているということです。ここから始められれば、次のステップに向かうことができますね。

第二に「相手の言っていることを聞く」ことです。これは簡単、当たり前のようでいて本当に難しいのです。音として「聞く」ことはできても、心をともなって「聴く」ことはなかなかできるものではありません。ついつい相手の話を遮って「この前もそう言ってたよね」「私はそう思わないけど」「また今度にしよう」と相手の言っていることを聞くことをやめてしまっているのです。ペットや植物が良いのはこの点にあります。彼らは何も反論をしないので「本当によく聞いてくれる」「あなただけが私を分かってくれているのね」と感じます。人は、自分の話を聞いてもらうだけで大変慰めを受けるものです。ついつい親身になってアドバイスを、と気を張らなくても、聞くことで「対話は成立」するのです。

第三に「相手との溝を気にしない」ことです。対話をすれば100%相手のことが分かってスッキリするかと言えばそうでない場合も多々あります。話を聞いて傷ついたり、自分が想像していたのとは違う考えを相手が持っていたことが分かりショックを受けたりもします。対話はお互いの間にある溝を完全になくすものではありません。それをゴールにしてしまうと自分は対話力がない、コミュニケーション障害だ・・・と落ち込み、億劫になってしますいことも。対話によっては、少なくとも「相手がそのように考えていたのだ」と分かることが大事です。身近な人とこそ、幅と奥行きのある対話を心がけ実践したいと願います。

(写真は新緑の盛岡市内、中津川ほとりにて)

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当たり前のことを、バカみたいに?、コツコツと。

1219 2021.7.11

当たり前のことを、バカみたいに?、コツコツと。

以下は、盛岡みなみ教会の週報(毎週の礼拝プログラムやメッセージ、祈祷課題が掲載されているもの)の牧師コラムに綴ったものです。ぜひご参照ください。ちなみに、写真と本文は関係がありません。もう8年位前の一枚です。本に囲まれて幸せそうだ。

オスカー・ワイルドという作家(劇作、小説等)をご存じの方も多いかと思います。彼の作品「幸福の王子」は絵本にもなったりして、金を剥ぎ取って与える王子とそれをどこへでも運ぶため羽ばたき続けるツバメの姿は、まるで神の見えない御手を見える化(可視化・・・最近よく使われますね)したようで、本当に慰められる物語です。「サロメ」は新約聖書から着想を得た話ですね。マタイ14章やマルコ6章に出てくる「ヘロディアの娘」こそサロメで、彼の作品ではバプテスマのヨハネに口づけをするため、様々な画策をし、王の前で踊った褒美として、彼の首を願い、そこで願いを果たすというものです。そのワイルドには、「ドブに捨てられた、まだ打ち上げられていない花火を見て泣いたとき、自分のようだと泣いた」(2016年、「木皿食堂」、双葉文庫、p.18)というエピソードがあるそうです。花火は楽しいものです。私の幼少時代でも特別なものでした。夏の時期に特別なイベントがなければそうそうしませんでした。ワイルドの生きた時代であればもっと格別な感があったはずです。しかし、それでも花火は使われることなく捨てられた。打ち上がってこその花火・・・しかしその前に見捨てられたその花火と自分を重ねての涙だったそうです。

 このエピソードを読んでから、自分の生活のことや価値観について思い巡らしています。少年時代に特別だったことが、今や当たり前どころか、なんとも思っていないこともあるのではないか。それは突き詰めると、神の恵みを当然だと思い込み、喜びや賛美をするどころか、またこれかと辟易としたり、ため息を主に向かって吐き出しているのではないか?とチクチク心が刺される思いにもなったりします。また、自分自身だけでなく、家族や普段関わりのある方々にも多少なりとも影響を与えてしまっているのではないだろうか。ある先生が「ABCを大事にしなさい」と教えたそうです。それは「A=当たり前のことを、B≡バカみたいに、C=コツコツと」だそうです。それこそ成熟の道であるような気がします。分かった気でいて分かっていないこと、それが覆されること、気付かされて恥ずかしく思うこともあります。しかし、その当然だと思うことを、愚直・実直に、コツコツとやり続ける。そこに自分の生きる道の確かさと失わない喜びを見出していたいと願います。このエピソードを書いている「木皿泉」という脚本作家はご夫妻での共同ペンネームです。ドラマ「野ブタ。をプロデュースする」等で有名ですが、いつも笑顔を絶やさず、高い目標や理想ではなく、そこにある喜び、失われた宝の輝きを思い出させてくれる作家さんでお気に入りです。

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街の時間、待ちのじかん

1218 2021.6.30

街の時間、待ちのじかん

今日の午後は所用を済ませに街へ。と言っても盛岡のサイズは絶妙で、教会がある住宅街から駅まで車で5分、徒歩でゆっくり20分、自転車で10分ほど。今日は次女の自転車を借りて繰り出しました。駐車の時間や場所を気にすることなく、公園の水を飲んだり、ふと見つけた文具店をのぞいたり、入ったことのない路地を選んだりと自由自在。歩きよりも快適性もあり、自転車は良いものですね。

用が終わり、歴史ある教会の建物が建て替えのため取り壊されていたのに気づき、そのまま川べりを行くと、仲良く歩く老夫婦、メモを取る男性などとすれ違い、自分もここで時間を過ごしたいとベンチに座りました。するとあら不思議。半時間ほど記憶を失っていたようです。気づくとベンチでうたた寝をしてました。空を見上げればまた別の雲が漂い、街を包んでいました。

今年は(も)さんさ踊りは中止。もうしばらくは、盛岡人が盛岡を楽しむ時間が続きそうですね。

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お弁当の楽しみ

1217 2021.6.11

お弁当の楽しみ

お弁当の楽しみ

「お弁当」はどうして他の食事と違うのでしょう。いや、正確には他の食事とは違った美味しさを感じるのでしょう。そんなことを考えながら、昨日至ったのは「作る人と食べる人との距離」です。普段の食事は作ればそのままダイレクトに、その場で食べることが多いものです。家庭であっても外食であってもそうですね。けれど、お弁当はアツアツでもなければ、ヒエヒエでもない。入れる食材も、食べる時刻も、持ち運びの方法も、保存の場所も難しい!それでも、お弁当箱を開けたり、口に運んだときの幸せ度は別格のものがあります。また、作った側は「今頃、食べているかな」「全部食べてくれたかな」などと想像する楽しみもあります。

昨日のこども食堂のメインは「鶏の唐揚げ」でした。お肉の中まで熱を通し、かつ硬くならないように・・・試行錯誤を繰り返しながらたどり着いたのは「余熱で仕上げる」こと。揚げきってしまうと火の通りは良いものの、食感が損なわれますが、この方法はバッチリでした。一緒に作業くださる方の太鼓判のひと言が決め手。味つけ以外にも料理の決め手はあるものですね!妻も、家庭やこども食堂の「味付け番」(注:番長ではありませんよ)を長年仰せつかっています。その責任感、素晴らしいと再発見です。

写真はこども食堂のお弁当と今朝の次女用のお弁当。幾度か肉巻きおにぎりをしましたが、今朝のは焼いている自分が微笑むほどの出来栄え。ただ、味が濃かった・・・次、もっと美味しいもの作るからね。父より。

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蓄積の大切さ

1216 2021.5.23

蓄積の大切さ

蓄積の大切さ

妻が手首を捻挫したことから、調理の大役を担うようになって2週間ほど。それまで時折食事作りをしていたものの、あくまで気まぐれスポット参戦。日常となると、献立から買い物計画、在庫管理など調理以外にやること満載なのだ!と気づきました。結婚以来20年弱ずっっとこのことをしてくれていたのだと妻に感謝です。

さて、自分でもやや心配気味に始まったのですが、やってみると楽しいもので、出来上がっていく様と美味しく食べてくれる様子に清涼感のような満足をいただいています。色々とメニューもチャレンジしていて、自分でも飽きずに取り組めていることは嬉しい発見です。ただ、これまでの蓄積がないので、毎回ネット検索と動画が頼り。いつになったら、自己に蓄積されてある程度できるようになるのでしょうか。あらためて積み上げの大切さを教えてもらいました。

先にも書いたように自分でも飽きないように、新たな品を作っていますが、このお昼は「韓国屋台サンド」を作りました。食パンをホットプレートで温めておいて焼き色を付け、はちみつやヨーグルトなどお好みのソースをかけておき、キャベツと卵を混ぜたものをフライパンに。その上から刻んだハムととろけるチーズを載せて裏面も焼く。それを食パンの上に鎮座させ、ケチャップやマスダードを。ホットサンドメーカーとはまた違った味わいで思わず笑顔になります。

お弁当も本人と周りをびっくりさせないよう、鋭意努力中です。怪我が明けても続けていようと、(今は)思っているところです。

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自分自身を生きる

1215 2021.5.16

自分自身を生きる

自分自身を生きる

私の名前は史明と書いて「ふみあき」と読み・呼びます。少年期からはこの名前が気に入らなく、何か他の名前だったらいいのにと思ったり、実際に親に詰問したりしていました。すると、両親が「他に案があった」と言ったので、期待して「何だった?」と聞くと「まさあき」だと。どうやらその頃スパイダース(知らんけど)が流行してたようで、堺正章さんにあやかって、明の字は我が家の男系子孫に宛てられる文字として「正明」だったようです。もっと違った感じの名前であったら歯がゆかったのですが、正直、どちらでも一緒のような気もしましたが、その日から「史明」も受け入れることにしています。

さて、私は「史明」として生きているでしょうか。これまで様々な経験や環境に身を置き、多くの人の声や情報が入ってくる中で生きてきました。この歳になって(46かな)、なかなか自分自身を生きるのは難しいことだとも感じるようになっています。子どもたちには思いっきり自分自身を生きてほしいなと願っています。

写真は今年の岩手日報のキャビネコンテストに選んでいただいたもの。どちらが入選かわかりますか?

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