日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

メッセージ

日曜礼拝の聖書メッセージです。
今月の最新の週から順に載せています。
このページがご覧になる方の
心の養いとなりますように。

メッセージ

聖書の言葉

「ともにおられる神」

主日礼拝 2018年12月9日

このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。
 そして男の子を産む。
 その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

牧師の言葉

1・預言の成就として
マタイは系図から始まりますが、この箇所ではイザヤ書の預言からイエスさまの誕生について引用しています(23節)。系図は誕生までの系譜を示し、救い主の誕生は一点の出来事を指し示す預言です。これらは神さまが世界の歴史を支配・導いておられるというメッセージです。イエスの誕生から700年前の預言も、マリアの処女降誕も、私たちの理性や科学的根拠を超えたものですが、聖書がそれを堂々と主張しているのは、私たちの考えに合わせた作り物でないことの証拠でもあります。そして、私たちは自分の考えや常識や科学知識を超えたことを聖書が語る時、聖書に従うことができるか?という問いかけを受けているのです。そして、教会は聖書の権威を何よりも上に置いてきました。その下に、私たち人間とその理性を置くのです。
2・処女(おとめ)から生まれられた意味
処女から生まれることが科学的、生物学的にあり得るかが鍵ではなく、なぜ処女から生まれなければならなかったかを考え、答えるべきです。あえて神さまが、人間がにわかには信じ難いことをされたのはなぜか。主な理由は二つです。一つは聖霊によって宿ったのは、罪がなく、完全な聖さを持つためで、もう一つマリアから生まれたのは、完全な人間であるためでした。こうして罪がなく、それでいて人であることが成立したのです。それはイエスさまが威張るためではなく、私たち人間の身代わりとなるためです。すべての人間には自分の罪があるので、誰かの罪を代わりに背負えません。また、羊や牛のような動物は、人間の完全な身代わりともなれません。人間の罪のためには、正真正銘の人間が、それもいっさい罪のない人間が必要なのです。このことは教会の信仰の根幹となりました。それで、私たちは「主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ」と告白するのです(使徒信条)。私たちに必要なのは、罪のない完全な人間であり、救い主なのです。
3・神は私たちとともにおられる
こうして聖書の預言が完全に成就するかたちで、イエスさまは聖霊によってマリアから生まれました。また、ヨセフは「聖霊による子だ」ということを証明するために「子を産むまでは彼女を知ることがなかった」と神の計画に従う生き方を示します。さらにヨセフが「イエスと名付けなさい」と命じられているのは、自分の子として認めるという意味があります。そして「ダビデの子ヨセフ」がイエスさまを名付け、親となることによって「ダビデの家系からメシヤが生まれる」という旧約聖書のさらなる預言も成就するのです(例:イザヤ9:7、Ⅱサムエル記7:12、詩篇132:11等)。締めくくりの「インマヌエル」とは「神は私たちとともにおられる」の意味です。私たちがではなく、まず神が私たちの間に降られ、人としての生き、聖なる歩みをされたので、あなたと「ともにおられる」ことを確信できるのです。完全な罪なきお方である神が、罪人を私とともにいてくださること。これこそ破格の恵みです。私を顧みてくださるのは当たり前だ!とは居直らず、こんな私とともにいることを神の側からよしとされ、そのようにしてくださることに驚き、この方を心底礼拝したいと願います。

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聖書の言葉

「あなたに託す神」

主日礼拝 2018年12月2日

イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

「マタイの福音書1章18-21節」

牧師の言葉

序:今年もクリスマスが近づいてきました。プレゼントやパーティーではなく、聖書から語られる神さまの贈り物に目を留め、心躍るアドベントでありますよう、今年はヨセフとマリアが迎えたクリスマスに耳を傾けてまいりましょう。
1・とんでもない始まり・・・
マタイの福音書は「系図」から始まります。新約聖書の始まりがこれですからせっかく聖書に興味を持った人がいきなり挫折・・・なんてことも聞いたりします。しかし、この系図の後にはそれこそヨセフがつまずき、ズッコケそうになる出来事に遭遇します。まだ婚約中のマリアが身ごもったというのです。ヨセフはあわれみ深い人で、自分以外の男性との間に授かった赤ちゃんだと考え、内密に処理しようと思いました。もし事を荒立ててマリアを責めたなら、彼女は姦淫の罪に問われ、世間にもさらし者として辛い思いをさせることになります。とんでもない始まりですが、ヨセフは穏やかにそれを処理しようとしました。これは極めて冷静な判断でしたが、同時にそれは人間的な判断、方法に終始しているとも言えます。それで次の場面に主の使いがそれを差し止めるように現れます。
2・主の使いの言葉の意味
夢の中でヨセフに現れた主の使いは、マリアのお腹に宿っているのは聖霊による子なのだと告げ、さらに命名もしてその場を去ります。この時彼は「ダビデの子ヨセフ」と呼ばれています。マタイが系図で書き始めた理由の一つがこれなのです。神の救いの系譜はアブラハム、ダビデ、イエスを軸に紡がれています。ヨセフはその一端を担う者として、その生まれる前から備えられた神の計画の中で大切な役割を果たすのです。たとえ一度にそれが分からないとしても、人生の壁や試練や失敗や不可解な出来事を通して、少しずつそのことが明かされていきます。私たちの悩みの日、神が語ってくださるように聖書を開く時、同じ神さまがその闇に光を当て、導いてくださいます。主の使いが神の言葉を伝えたのは、ただヨセフに聞かせるためではなく、ヨセフがそのことによって励まされ、実際に従うためでした。マリアとひそかに離縁するのであれば、それはこの出来事の傍観者のまま。しかし、神さまはこの出来事をヨセフも引き受けることによって当事者になるよう強く導かれているようです。
3・あなたに託す神
こうした葛藤やたじろぎを通して、ヨセフとマリアはその子が聖霊によるのだと確認し、やがてイエスの両親となります。もし、ヨセフが迷った末にマリアを離縁したらどうなったでしょう?マリアが恐れてヨセフから逃げたとしたら?神さまは、人類の救い主であるイエスさまを、この若い二人に託されたということです。彼らが鉄壁で、悩むことなく受け入れる人物だったからではありません。誤解を恐れずに言えば、どこにでもいる青年たちだったのです。その彼らにひとり子を託された。そして主の使いを送り「神の言葉」によって彼らをその道に歩ませようとされた。あなたに託されているものは何でしょうか?あなたが従うべき道とは何かを探られていますか?

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日曜礼拝の聖書メッセージです。今月の最新の週から順に載せています。このページがご覧になる方の心の養いとなりますように。

ともにおられる神

主日礼拝 2018年12月9日

聖書の言葉

このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
「見よ、処女が身ごもっている。
 そして男の子を産む。
 その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。
ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

牧師の言葉

1・預言の成就として
マタイは系図から始まりますが、この箇所ではイザヤ書の預言からイエスさまの誕生について引用しています(23節)。系図は誕生までの系譜を示し、救い主の誕生は一点の出来事を指し示す預言です。これらは神さまが世界の歴史を支配・導いておられるというメッセージです。イエスの誕生から700年前の預言も、マリアの処女降誕も、私たちの理性や科学的根拠を超えたものですが、聖書がそれを堂々と主張しているのは、私たちの考えに合わせた作り物でないことの証拠でもあります。そして、私たちは自分の考えや常識や科学知識を超えたことを聖書が語る時、聖書に従うことができるか?という問いかけを受けているのです。そして、教会は聖書の権威を何よりも上に置いてきました。その下に、私たち人間とその理性を置くのです。
2・処女(おとめ)から生まれられた意味
処女から生まれることが科学的、生物学的にあり得るかが鍵ではなく、なぜ処女から生まれなければならなかったかを考え、答えるべきです。あえて神さまが、人間がにわかには信じ難いことをされたのはなぜか。主な理由は二つです。一つは聖霊によって宿ったのは、罪がなく、完全な聖さを持つためで、もう一つマリアから生まれたのは、完全な人間であるためでした。こうして罪がなく、それでいて人であることが成立したのです。それはイエスさまが威張るためではなく、私たち人間の身代わりとなるためです。すべての人間には自分の罪があるので、誰かの罪を代わりに背負えません。また、羊や牛のような動物は、人間の完全な身代わりともなれません。人間の罪のためには、正真正銘の人間が、それもいっさい罪のない人間が必要なのです。このことは教会の信仰の根幹となりました。それで、私たちは「主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ」と告白するのです(使徒信条)。私たちに必要なのは、罪のない完全な人間であり、救い主なのです。
3・神は私たちとともにおられる
こうして聖書の預言が完全に成就するかたちで、イエスさまは聖霊によってマリアから生まれました。また、ヨセフは「聖霊による子だ」ということを証明するために「子を産むまでは彼女を知ることがなかった」と神の計画に従う生き方を示します。さらにヨセフが「イエスと名付けなさい」と命じられているのは、自分の子として認めるという意味があります。そして「ダビデの子ヨセフ」がイエスさまを名付け、親となることによって「ダビデの家系からメシヤが生まれる」という旧約聖書のさらなる預言も成就するのです(例:イザヤ9:7、Ⅱサムエル記7:12、詩篇132:11等)。締めくくりの「インマヌエル」とは「神は私たちとともにおられる」の意味です。私たちがではなく、まず神が私たちの間に降られ、人としての生き、聖なる歩みをされたので、あなたと「ともにおられる」ことを確信できるのです。完全な罪なきお方である神が、罪人を私とともにいてくださること。これこそ破格の恵みです。私を顧みてくださるのは当たり前だ!とは居直らず、こんな私とともにいることを神の側からよしとされ、そのようにしてくださることに驚き、この方を心底礼拝したいと願います。

あなたに託す神

主日礼拝 2018年12月2日

聖書の言葉

イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

「マタイの福音書1章18-21節」

牧師の言葉

序:今年もクリスマスが近づいてきました。プレゼントやパーティーではなく、聖書から語られる神さまの贈り物に目を留め、心躍るアドベントでありますよう、今年はヨセフとマリアが迎えたクリスマスに耳を傾けてまいりましょう。
1・とんでもない始まり・・・
マタイの福音書は「系図」から始まります。新約聖書の始まりがこれですからせっかく聖書に興味を持った人がいきなり挫折・・・なんてことも聞いたりします。しかし、この系図の後にはそれこそヨセフがつまずき、ズッコケそうになる出来事に遭遇します。まだ婚約中のマリアが身ごもったというのです。ヨセフはあわれみ深い人で、自分以外の男性との間に授かった赤ちゃんだと考え、内密に処理しようと思いました。もし事を荒立ててマリアを責めたなら、彼女は姦淫の罪に問われ、世間にもさらし者として辛い思いをさせることになります。とんでもない始まりですが、ヨセフは穏やかにそれを処理しようとしました。これは極めて冷静な判断でしたが、同時にそれは人間的な判断、方法に終始しているとも言えます。それで次の場面に主の使いがそれを差し止めるように現れます。
2・主の使いの言葉の意味
夢の中でヨセフに現れた主の使いは、マリアのお腹に宿っているのは聖霊による子なのだと告げ、さらに命名もしてその場を去ります。この時彼は「ダビデの子ヨセフ」と呼ばれています。マタイが系図で書き始めた理由の一つがこれなのです。神の救いの系譜はアブラハム、ダビデ、イエスを軸に紡がれています。ヨセフはその一端を担う者として、その生まれる前から備えられた神の計画の中で大切な役割を果たすのです。たとえ一度にそれが分からないとしても、人生の壁や試練や失敗や不可解な出来事を通して、少しずつそのことが明かされていきます。私たちの悩みの日、神が語ってくださるように聖書を開く時、同じ神さまがその闇に光を当て、導いてくださいます。主の使いが神の言葉を伝えたのは、ただヨセフに聞かせるためではなく、ヨセフがそのことによって励まされ、実際に従うためでした。マリアとひそかに離縁するのであれば、それはこの出来事の傍観者のまま。しかし、神さまはこの出来事をヨセフも引き受けることによって当事者になるよう強く導かれているようです。
3・あなたに託す神
こうした葛藤やたじろぎを通して、ヨセフとマリアはその子が聖霊によるのだと確認し、やがてイエスの両親となります。もし、ヨセフが迷った末にマリアを離縁したらどうなったでしょう?マリアが恐れてヨセフから逃げたとしたら?神さまは、人類の救い主であるイエスさまを、この若い二人に託されたということです。彼らが鉄壁で、悩むことなく受け入れる人物だったからではありません。誤解を恐れずに言えば、どこにでもいる青年たちだったのです。その彼らにひとり子を託された。そして主の使いを送り「神の言葉」によって彼らをその道に歩ませようとされた。あなたに託されているものは何でしょうか?あなたが従うべき道とは何かを探られていますか?

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