日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

メッセージ

日曜礼拝の聖書メッセージです。
今月の最新の週から順に載せています。
このページがご覧になる方の
心の養いとなりますように。

メッセージ

聖書の言葉

「苦難」

主日礼拝 2020年1月5日

神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し、
抑圧の中で彼らの耳を開かれる。
神はまた、あなたを苦難の中から誘い出し、
束縛のない広いところに導かれる。
豊かな食物が備えられた、食卓での安らぎに。
あなたには悪しき者へのさばきが満ちている。
さばきと公正があなたを捕らえる。
人々が取り去られる夜を、
あえぎ求めてはならない。不法に向かわないように注意せよ。
あなたは苦しみよりも、これを選んだのだから。
見よ、神は力にすぐれておられる。
神のような教師が、だれかいるだろうか。
神のみわざを覚えて賛美せよ。
人々がほめ歌った、そのみわざを。
すべての人がこれを見、
人が遠くからこれを眺める。
見よ。神はいと高く、
私たちには知ることができない。
その年の数も測り知ることができない。

「ヨブ記36章15-26節」(抜粋)

牧師の言葉

1. 苦難の中で
私たちはどこで神と出会うのでしょうか。自然界における素晴らしい創造のわざ、人生における素敵な出来事、讃美にあふれた礼拝などさまざま経験をしていることでしょう。今朝の箇所に目を留めると、私たちと神とは苦難においてことさら密接な関係になる、とあります。「神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し」(15節)とあるので、神の助けは苦しみの中ですでに始まっていると教えています。暗闇から出ると神と出会うのではなく、暗闇の中で神を体験し、しかも「助け出し」と完全な救いをもたらしてくださるのです。それは、神が苦しみの中に来てくださるからに他なりません。私たちが神に近づくよりも先に、神が私たちに近づき、自分の蒔いた種によって足が絡みつき、息苦しくもがいている人生の中へ神が近づき、あなたとともにいてくださるのです。詩篇には「あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に 深い淵に」(88:6)との預言がありますが、これは主イエスが十字架にかけられる前夜囚えられたことを指してもいます。聖地旅行で訪れたその場所(大祭司カヤパの邸宅で一晩過ごしたと記されている)は、光の届かない、冷たい石でできた穴ぐらでした。それは私たちが苦しみから這い上がれば神に出会えるのではなく、苦しみのただ中に降りてきてくださる主イエスを表す光景でもありました。
2. 苦難を理解する
しかし、私たち人間は苦しみを素直に受け取ることができません。義人ヨブも自分の正しさを主張し、人の不幸を願うこともあったようでした(17-21節)。人間は実に短絡的に自分の人生を呪い、暴発的に他人も苦労すべきだと訴える危険性を誰もが持っています。苦しみを懲罰と受け取り自分や他者を傷つけるのか、訓練と受け止め謙虚になり他者を励ますのかでは雲泥の差があります。この両者の差はどこから来るのでしょうか?それは苦しみの大小ではなく、信仰の有無です。蝶は羽化する際、全身を震わせ大変な苦しみを経るそうです。そして姿を変え、羽ばたくようになります。ある実験でこの羽化の苦しみを除去し、手助けをしたところ、羽化した蝶は弱々しく程なくして死んでしまったそうです。私たちは、苦しみから学ぶ姿勢を持たなければなりません。人生を呪うよりも先に。他者を引きずり込むよりも先に。
3. 知性をどこに?
なぜ、そのようなことを聖書は奨励するのでしょうか?それは苦しみが神からもたらされているものだからです。神は偉大な教師であり、並び立つ者はなく、いつでも讃美されるべきお方だからです(22-24節)。神はこの世界を創造し、秩序を保っておらえるお方です。その知恵と力とは計り知ることができません。私たちは自分の家のエネルギーを循環させる技術もありませんが、神は全世界に光や水を循環させておられます(27-30節)。雷鳴や稲妻で地を震わせ、家畜さえも神の力を学んでいます(32-33節)。ましてや私たち人間には知性があります。これは物事をよく見て、学び、考え、選択し、決定することのできる能力です。その素晴らしい知性を運命や法則の軍門に下らせてしまうのでしょうか?それとも、全知全能の神に信頼し、従わせていくのでしょうか?この世界を造られた素晴らしい神さまが、あなたの人生にも深く関わっておられます。人生における苦しみも、この方からの贈り物です。神と親しく、強い交わりを築きたいと願います。

▲ このページの先頭へ

日曜礼拝の聖書メッセージです。今月の最新の週から順に載せています。このページがご覧になる方の心の養いとなりますように。

苦難

主日礼拝 2020年1月5日

聖書の言葉

神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し、
抑圧の中で彼らの耳を開かれる。
神はまた、あなたを苦難の中から誘い出し、
束縛のない広いところに導かれる。
豊かな食物が備えられた、食卓での安らぎに。
あなたには悪しき者へのさばきが満ちている。
さばきと公正があなたを捕らえる。
人々が取り去られる夜を、
あえぎ求めてはならない。不法に向かわないように注意せよ。
あなたは苦しみよりも、これを選んだのだから。
見よ、神は力にすぐれておられる。
神のような教師が、だれかいるだろうか。
神のみわざを覚えて賛美せよ。
人々がほめ歌った、そのみわざを。
すべての人がこれを見、
人が遠くからこれを眺める。
見よ。神はいと高く、
私たちには知ることができない。
その年の数も測り知ることができない。

「ヨブ記36章15-26節」(抜粋)

牧師の言葉

1. 苦難の中で
私たちはどこで神と出会うのでしょうか。自然界における素晴らしい創造のわざ、人生における素敵な出来事、讃美にあふれた礼拝などさまざま経験をしていることでしょう。今朝の箇所に目を留めると、私たちと神とは苦難においてことさら密接な関係になる、とあります。「神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し」(15節)とあるので、神の助けは苦しみの中ですでに始まっていると教えています。暗闇から出ると神と出会うのではなく、暗闇の中で神を体験し、しかも「助け出し」と完全な救いをもたらしてくださるのです。それは、神が苦しみの中に来てくださるからに他なりません。私たちが神に近づくよりも先に、神が私たちに近づき、自分の蒔いた種によって足が絡みつき、息苦しくもがいている人生の中へ神が近づき、あなたとともにいてくださるのです。詩篇には「あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に 深い淵に」(88:6)との預言がありますが、これは主イエスが十字架にかけられる前夜囚えられたことを指してもいます。聖地旅行で訪れたその場所(大祭司カヤパの邸宅で一晩過ごしたと記されている)は、光の届かない、冷たい石でできた穴ぐらでした。それは私たちが苦しみから這い上がれば神に出会えるのではなく、苦しみのただ中に降りてきてくださる主イエスを表す光景でもありました。
2. 苦難を理解する
しかし、私たち人間は苦しみを素直に受け取ることができません。義人ヨブも自分の正しさを主張し、人の不幸を願うこともあったようでした(17-21節)。人間は実に短絡的に自分の人生を呪い、暴発的に他人も苦労すべきだと訴える危険性を誰もが持っています。苦しみを懲罰と受け取り自分や他者を傷つけるのか、訓練と受け止め謙虚になり他者を励ますのかでは雲泥の差があります。この両者の差はどこから来るのでしょうか?それは苦しみの大小ではなく、信仰の有無です。蝶は羽化する際、全身を震わせ大変な苦しみを経るそうです。そして姿を変え、羽ばたくようになります。ある実験でこの羽化の苦しみを除去し、手助けをしたところ、羽化した蝶は弱々しく程なくして死んでしまったそうです。私たちは、苦しみから学ぶ姿勢を持たなければなりません。人生を呪うよりも先に。他者を引きずり込むよりも先に。
3. 知性をどこに?
なぜ、そのようなことを聖書は奨励するのでしょうか?それは苦しみが神からもたらされているものだからです。神は偉大な教師であり、並び立つ者はなく、いつでも讃美されるべきお方だからです(22-24節)。神はこの世界を創造し、秩序を保っておらえるお方です。その知恵と力とは計り知ることができません。私たちは自分の家のエネルギーを循環させる技術もありませんが、神は全世界に光や水を循環させておられます(27-30節)。雷鳴や稲妻で地を震わせ、家畜さえも神の力を学んでいます(32-33節)。ましてや私たち人間には知性があります。これは物事をよく見て、学び、考え、選択し、決定することのできる能力です。その素晴らしい知性を運命や法則の軍門に下らせてしまうのでしょうか?それとも、全知全能の神に信頼し、従わせていくのでしょうか?この世界を造られた素晴らしい神さまが、あなたの人生にも深く関わっておられます。人生における苦しみも、この方からの贈り物です。神と親しく、強い交わりを築きたいと願います。

▲ページの先頭へ