日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

メッセージ

日曜礼拝の聖書メッセージです。
今月の最新の週から順に載せています。
このページがご覧になる方の
心の養いとなりますように。

メッセージ

聖書の言葉

「信頼」

主日礼拝 2019年10月13日

夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。
イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。
イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。
イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。

「マタイの福音書14章25-32節」(抜粋)

牧師の言葉

1. 主の命令
 今朝は「水の上を歩くイエス」でよく知られた箇所かもしれません。先に弟子たちを向こう岸へ渡るよう舟を見送られたイエス。しかし、弟子たちは夜通し吹く向かい風にあえぎます。そこへイエスさまがガリラヤ湖上を歩いて近づくのです。弟子たちは一人としてそんなことを期待も想像もしていませんでした。それで「幽霊だ」と恐れ騒いだのです。ここでの重要な教えは、あなたが悩苦しむとき、イエスさまの方から近づいてくださるということです。あなたが悩むとき、イエスさまはそれを知っておられます。あなたがもがくとき、イエスさまは祈っていてくださいます。あなたが立ちすくんでいるとき、イエスさまは近づいてくださいます。弟子たちが「幽霊だ」と言ったのには理由がありました。それは、新約聖書の時代の人々にとって、海や湖は恐怖の対象であり、ガリラヤ湖は幽霊が出ると噂され、水の中で溺れる危険があったからです。弟子たちの心を占めていたのは、古くからの言い伝えであり、人々の噂であり、人間の能力の限界でした。それらの声に心が支配され、恐怖にコントロールされてしまうのです。聖書に記されている神の命令で最も多い命令は何かご存知でしょうか?それは「恐れるな」です。聖書をそのような視点で読んでいくと実に多くの場面、またあらゆる人に向けて「恐れるな」と命じておられることに気づきます(アブラハム、ヨシュア、イザヤ書、パウロ、テモテなどなど!)。そして、その言葉、命令は私たちにも向けられます。

2. 主の声
湖上の幽霊がイエスだと分かったとき、ペテロは「主よ・・・私に命じて、水の上を歩いてあなたのところへ行かせてください」と頼みました。変なことをペテロは頼むなと思うでしょうか。しかし、ここでペテロは恐れからイエスのそばへ行こうと決意したのです。風に悩まされていても舟の上にいれば安全だったはずです。何もなしで水の上を歩くのは、命がけのギャンブルです。それでもペテロは安全圏から出てイエスへの信仰の一歩を踏み出しました。月面着陸をしたアポロ11号のアームストロング氏は「これは一人の人にとって小さな一歩だが、人類にとって偉大な飛躍です」とその一歩を踏み出したとき中継しました。月面歩行は科学によって可能です。しかし、水の上を歩くのは信仰によるしか不可能です。ペテロの依頼に対し、イエスさまは即座に「来なさい」と言われました。それはわたしの言葉は本物だ、わたしは真剣だ、わたしはあなたを水上で歩かせるという力に満ちた招きです。主の声を求め、主の声を聞き、主の声に従うこと。イエスさまは、あなたが「信頼」するようチャレンジしておられます。

3. 主のあわれみ
 しかし、その信頼は長続きしませんでした。最初の数歩は水の上を歩いたのですが「強風を見て怖くなり」沈んでしまいます。溺れゆく中でペテロは絶望にも似た祈りをします。それから、イエスさまは手を差し伸べ、ペテロを救い、さらに信仰を持つよう言われます。ここで見落とせないのは、神さまはあなたの感情を理解し、受け止めてくださるお方だということです。冷静沈着に主の言葉だけを聞き従う無機質なロボットのようになるのを期待しておられません。心の揺れ動き、胸騒ぎ、恐怖、疑いを感じてしまうあなたであることを知っておられます。失敗したら切り捨てる、裏切ったら見限る方では断じてありません。「なぜ疑ったのか。もう知らないぞ」というメッセージであったら誰もついていかないし、ついていけないからです。そうではなく、イエスさまは恐れやすく、疑い深いあなたであることは百も承知の上で「信頼」してみるよう語っておられます。このとき、ペテロを助けたのは溺れ沈むところを支えるイエスさまに気づかせることが目的でした。主への信頼は、生死を分けるいのちの道なのです。

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聖書の言葉

「神の知恵に震える」

主日礼拝 2019年10月6日

ヨブは答えた。
あなたは無力な者をどのように助けたのか。 
力のない腕をどのように救ったのか。
知恵のない者にどのように助言し、知性を豊かに示したのか。

神は北を、茫漠としたところに張り広げ、地を何もないところに掛けられる。
神は水を濃い雲の中に包まれるが、雲はその下で裂けることはない。
神は満月の面をおおい、 
その上に雲を広げ、
水の面に円を描いて、光と闇との境とされた。
天の柱は揺らぎ、 神の叱責に驚愕する。

見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。 
神についてささやきしか聞いていない。 
御力を示す雷を、 
だれが理解できるだろうか。

「ヨブ記26章」(抜粋)

牧師の言葉

1. 世界観
 人は「世界観」を持って生きています。世界観とは「世界とはこのようなものだ」と考えたり感じたりする枠組みのようなものです。世界観は各自によって違います。生まれ育った環境、受けた教育、人生経験や人間関係を通して築かれていくそうです。その中で特に重要なのは【教育=教えられてきたもの】です。聖書を読んでも学校の教科書と違う内容があると、学校で習った事柄から知識を入れ替えるのは至難のわざです。その代表的な一つが「進化論と創造論」になります。世界は偶然にできたのだから神はいないという世界観と世界は神によって創造されたのだとするそれとは正反対です。明治最初期の教科書には「創造論」や「ノアの箱舟」が載っていたそうです。しかし、その後モース教授により進化論が本格的に教え始められ、現在まで至っています。創造論にちゅうちょを覚えるのは、学校の教科書で教えられたという自分なりの世界観があるからです。経験によって築かれたものを取り替えるのは困難なことですが、人生の土台は正しい真理である方が大事ではないでしょうか?

2. ヨブの見つめていた世界
この26章ではヨブは星や月、雲や海の水平線を見つめて、そこに創造された神の知恵と技術と力を認めて賛美しています。たとえば8節の「神は水を濃い雲の中に包まれるが・・・裂けることはない」とは、貯水湖を空に浮かべて造られた神の美しさとどんな多くの水量を含ませても破裂しない技術の高さを指摘している箇所です。人間が同じようなものを作るとコンクリートで固めたダムや貯水塔になります。それらは有益ですが雲のような優雅さ、ユニークさ、そして貯水量と自在に動くことなどできません。また雲は水を運ぶだけでなく、地球の水の循環システムを担う一部です。雲、降水、地下水、淡水、海水、蒸発という一連のサイクルを通して、生命維持に欠かせない水を常に生み出しています。それは神の造られた完璧な循環システムによってもたらされています。砂場でダム遊びをするのにも頭脳とデサイン力と道具が必要です。では、この雲一つをとってみても、この世界に創造主がおられることは明らかではないでしょうか。今、私たちはヨブが見つめ、感嘆していたのと同じ月星、雲を見ています。ヨブの揺るぎない世界観に刺激を受けつつ、自分の目は何を見ているのか今一度考えたく願います。

3. 知恵を活かす
 しかし、このような知識を知っているだけではもったいないのです。この世界を創造され素晴らしい知恵と技術と力を見せてくださっている神さまを礼拝し、賛美し、喜んで生きることがなければ、これらの知識は死んだも同然です。神を知る者は神を礼拝することへと立ち向かうのです。神を持つことで勇気をいただきます。ヨブは終わりまでその信仰を、世界観を神に向け続けました。神を礼拝することは自分だけで完結するむなしい楽しみとは比べ物になりません。神を賛美することは苦しみの中にあっても悪い方向への足を止めさせ、いのちの光へと向かわせてくれる力となります。神の知恵と力に驚き、圧倒され、礼拝へ、賛美へ、感謝へと奮い立つ者でありたいのです。

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日曜礼拝の聖書メッセージです。今月の最新の週から順に載せています。このページがご覧になる方の心の養いとなりますように。

信頼

主日礼拝 2019年10月13日

聖書の言葉

夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。
イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。
イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。
イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。
ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。

「マタイの福音書14章25-32節」(抜粋)

牧師の言葉

1. 主の命令
 今朝は「水の上を歩くイエス」でよく知られた箇所かもしれません。先に弟子たちを向こう岸へ渡るよう舟を見送られたイエス。しかし、弟子たちは夜通し吹く向かい風にあえぎます。そこへイエスさまがガリラヤ湖上を歩いて近づくのです。弟子たちは一人としてそんなことを期待も想像もしていませんでした。それで「幽霊だ」と恐れ騒いだのです。ここでの重要な教えは、あなたが悩苦しむとき、イエスさまの方から近づいてくださるということです。あなたが悩むとき、イエスさまはそれを知っておられます。あなたがもがくとき、イエスさまは祈っていてくださいます。あなたが立ちすくんでいるとき、イエスさまは近づいてくださいます。弟子たちが「幽霊だ」と言ったのには理由がありました。それは、新約聖書の時代の人々にとって、海や湖は恐怖の対象であり、ガリラヤ湖は幽霊が出ると噂され、水の中で溺れる危険があったからです。弟子たちの心を占めていたのは、古くからの言い伝えであり、人々の噂であり、人間の能力の限界でした。それらの声に心が支配され、恐怖にコントロールされてしまうのです。聖書に記されている神の命令で最も多い命令は何かご存知でしょうか?それは「恐れるな」です。聖書をそのような視点で読んでいくと実に多くの場面、またあらゆる人に向けて「恐れるな」と命じておられることに気づきます(アブラハム、ヨシュア、イザヤ書、パウロ、テモテなどなど!)。そして、その言葉、命令は私たちにも向けられます。

2. 主の声
湖上の幽霊がイエスだと分かったとき、ペテロは「主よ・・・私に命じて、水の上を歩いてあなたのところへ行かせてください」と頼みました。変なことをペテロは頼むなと思うでしょうか。しかし、ここでペテロは恐れからイエスのそばへ行こうと決意したのです。風に悩まされていても舟の上にいれば安全だったはずです。何もなしで水の上を歩くのは、命がけのギャンブルです。それでもペテロは安全圏から出てイエスへの信仰の一歩を踏み出しました。月面着陸をしたアポロ11号のアームストロング氏は「これは一人の人にとって小さな一歩だが、人類にとって偉大な飛躍です」とその一歩を踏み出したとき中継しました。月面歩行は科学によって可能です。しかし、水の上を歩くのは信仰によるしか不可能です。ペテロの依頼に対し、イエスさまは即座に「来なさい」と言われました。それはわたしの言葉は本物だ、わたしは真剣だ、わたしはあなたを水上で歩かせるという力に満ちた招きです。主の声を求め、主の声を聞き、主の声に従うこと。イエスさまは、あなたが「信頼」するようチャレンジしておられます。

3. 主のあわれみ
 しかし、その信頼は長続きしませんでした。最初の数歩は水の上を歩いたのですが「強風を見て怖くなり」沈んでしまいます。溺れゆく中でペテロは絶望にも似た祈りをします。それから、イエスさまは手を差し伸べ、ペテロを救い、さらに信仰を持つよう言われます。ここで見落とせないのは、神さまはあなたの感情を理解し、受け止めてくださるお方だということです。冷静沈着に主の言葉だけを聞き従う無機質なロボットのようになるのを期待しておられません。心の揺れ動き、胸騒ぎ、恐怖、疑いを感じてしまうあなたであることを知っておられます。失敗したら切り捨てる、裏切ったら見限る方では断じてありません。「なぜ疑ったのか。もう知らないぞ」というメッセージであったら誰もついていかないし、ついていけないからです。そうではなく、イエスさまは恐れやすく、疑い深いあなたであることは百も承知の上で「信頼」してみるよう語っておられます。このとき、ペテロを助けたのは溺れ沈むところを支えるイエスさまに気づかせることが目的でした。主への信頼は、生死を分けるいのちの道なのです。

神の知恵に震える

主日礼拝 2019年10月6日

聖書の言葉

ヨブは答えた。
あなたは無力な者をどのように助けたのか。 
力のない腕をどのように救ったのか。
知恵のない者にどのように助言し、知性を豊かに示したのか。

神は北を、茫漠としたところに張り広げ、地を何もないところに掛けられる。
神は水を濃い雲の中に包まれるが、雲はその下で裂けることはない。
神は満月の面をおおい、 
その上に雲を広げ、
水の面に円を描いて、光と闇との境とされた。
天の柱は揺らぎ、 神の叱責に驚愕する。

見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。 
神についてささやきしか聞いていない。 
御力を示す雷を、 
だれが理解できるだろうか。

「ヨブ記26章」(抜粋)

牧師の言葉

1. 世界観
 人は「世界観」を持って生きています。世界観とは「世界とはこのようなものだ」と考えたり感じたりする枠組みのようなものです。世界観は各自によって違います。生まれ育った環境、受けた教育、人生経験や人間関係を通して築かれていくそうです。その中で特に重要なのは【教育=教えられてきたもの】です。聖書を読んでも学校の教科書と違う内容があると、学校で習った事柄から知識を入れ替えるのは至難のわざです。その代表的な一つが「進化論と創造論」になります。世界は偶然にできたのだから神はいないという世界観と世界は神によって創造されたのだとするそれとは正反対です。明治最初期の教科書には「創造論」や「ノアの箱舟」が載っていたそうです。しかし、その後モース教授により進化論が本格的に教え始められ、現在まで至っています。創造論にちゅうちょを覚えるのは、学校の教科書で教えられたという自分なりの世界観があるからです。経験によって築かれたものを取り替えるのは困難なことですが、人生の土台は正しい真理である方が大事ではないでしょうか?

2. ヨブの見つめていた世界
この26章ではヨブは星や月、雲や海の水平線を見つめて、そこに創造された神の知恵と技術と力を認めて賛美しています。たとえば8節の「神は水を濃い雲の中に包まれるが・・・裂けることはない」とは、貯水湖を空に浮かべて造られた神の美しさとどんな多くの水量を含ませても破裂しない技術の高さを指摘している箇所です。人間が同じようなものを作るとコンクリートで固めたダムや貯水塔になります。それらは有益ですが雲のような優雅さ、ユニークさ、そして貯水量と自在に動くことなどできません。また雲は水を運ぶだけでなく、地球の水の循環システムを担う一部です。雲、降水、地下水、淡水、海水、蒸発という一連のサイクルを通して、生命維持に欠かせない水を常に生み出しています。それは神の造られた完璧な循環システムによってもたらされています。砂場でダム遊びをするのにも頭脳とデサイン力と道具が必要です。では、この雲一つをとってみても、この世界に創造主がおられることは明らかではないでしょうか。今、私たちはヨブが見つめ、感嘆していたのと同じ月星、雲を見ています。ヨブの揺るぎない世界観に刺激を受けつつ、自分の目は何を見ているのか今一度考えたく願います。

3. 知恵を活かす
 しかし、このような知識を知っているだけではもったいないのです。この世界を創造され素晴らしい知恵と技術と力を見せてくださっている神さまを礼拝し、賛美し、喜んで生きることがなければ、これらの知識は死んだも同然です。神を知る者は神を礼拝することへと立ち向かうのです。神を持つことで勇気をいただきます。ヨブは終わりまでその信仰を、世界観を神に向け続けました。神を礼拝することは自分だけで完結するむなしい楽しみとは比べ物になりません。神を賛美することは苦しみの中にあっても悪い方向への足を止めさせ、いのちの光へと向かわせてくれる力となります。神の知恵と力に驚き、圧倒され、礼拝へ、賛美へ、感謝へと奮い立つ者でありたいのです。

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