日本同盟キリスト教団 盛岡みなみ教会

メッセージ

日曜礼拝の聖書メッセージです。
今月の最新の週から順に載せています。
このページがご覧になる方の
心の養いとなりますように。

メッセージ

聖書の言葉

「新世界」

主日礼拝 2020年11月29日

ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。
そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。

「ピレモンへの手紙17-20節」

牧師の言葉

◆方向<どこへ>
 ピレモンへの手紙のテーマは「神の赦しと愛」です。聖書は人間同士の関係だけに限った知恵の書ではありません。まずは神と人との関係を見直し、構築します。この神と人との垂直・縦の関係が正されると、人と人との平行・横の関係もしっかりしたものになっていきます。ちょうど、まっすぐ回るコマが安定して動くようなイメージです。この短い手紙の中で実際的な中心個所はこの17-20節と言われています。ピレモンが、いかに逃亡した奴隷オネシモを迎え入れることができるのか。そのために、パウロは実際の手順と手掛かりをここで記しています。
 第一に大切なのは「方向・どこへ向かうのか」です。往々にして、「なぜ、それをするのか」を最優先しなさい、心の声を聞きなさい、といった意見を見聞きすることがありますが、それは二番目です。なぜなら、たとえば「相手をギャフンと言わせたい」とか「楽をしたい」といった間違った動機から行動することも多々あるからです。この場合、ピレモンに対して「私(パウロ」のようにオネシモを迎えなさい」と(実は命令形)で伝えています。ピレモンの向かうべき方向、絶対に解決すべきことは「オネシモを罪を犯した裏切り者として見ない」ということでした。これが「赦しにおいて進むべき方向」です。赦したと言った後に「私はお前を赦すことは大変だったんだよ」と恩を着せたり、「お前は過去にこういうことをしたんだよ」と言い続けることは真の赦しではありません。赦し側のどこかで過去の罪の火種がまだ燃えていたり、赦された者がいつまでも引け目を感じて過ごしているなら、そこに真の赦しは到来していないしるしです。あなたが、今も心の傷がうずいたり、夜ふつふつと思い出したりするその人や出来事があるならば、「以前のようには見ない」方向を目指してはいかがでしょうか?
◆動機<なぜ>
方向が決まれば、次に「動機・なぜ」です。ピレモンにとって、オネシモを過去のように見ないのはどんな益があるのでしょうか?それは、まず神が自分のことをそのように見てくださることを知るためです。自分こそ、神によってすべてを赦された者であること。神こそ、しみったれた文句や自分の苦労話をなさらないこと。自分が救われたのは、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのか分かっていないのです」と十字架の苦しみを受けながら、祈ってくださったお方によるのだということを、まずピレモン自身が分からせてもらうためです。そうしてこそ、今度は「自分がこの人を赦せるように」という動力となります。自分だけが我慢するのか、自分だけ損するのかという態度は、決してよい動機ではありません。そんなときは、まず神との交わりをじっくりと持ちましょう。そして、神からの赦しを自らの手に受け取りましょう。「人を赦す」という動機はそこからしか湧きません。パウロは、ピレモンに一方的に忍耐することを求めてはいません。オネシモを赦して迎えることは、ピレモン自身にとってすばらしい宝、益であることを味わうためだからです。神の赦しを知り、受け取っている者だけが、同じように人を赦すことができます。パウロがピレモンに「私にもっと負債がある」と言っているのは、経済的な借金ではなく、何よりも高価な神の救いへ導いた霊的財産のことです。神の赦し・救いは、地上のどんな取引よりも莫大で高価なものです。決して無理強いをしないで、恵みによってなしましょう。
◆方法<何をして>
さて、最後に「何をして」赦しを成立させるのかを見ていきましょう。一方的な赦しと言っても、何の犠牲もなく成立したわけではありません。神は、罪とほころびをなかったことにしてごまかすことのないお方です。なぜなら、神は正しいお方、義なるお方だからです。その目は誰よりも厳しく、公正です。えこひいきもありません。私たち人間の罪の償いは、シミも傷もない子羊キリストによって完済されました。すべての傷、損害、負債は、しっかり補われねばなりません。神を目をごまかしたり、神の定規をゆがめてはいけないからです。この場合、オネシモがピレモンに与えた損害や返すべき借金はパウロが補うと署名しています。罪を悔い改め、主人のもとで新しく仕えるオネシモ、身を切りそれを補うパウロ、過去を神の赦しによって乗り越えるピレモン。神によって新生した人々のすがすがしい新世界を拡げましょう!

▲ このページの先頭へ

日曜礼拝の聖書メッセージです。今月の最新の週から順に載せています。このページがご覧になる方の心の養いとなりますように。

新世界

主日礼拝 2020年11月29日

聖書の言葉

ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。
そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。

「ピレモンへの手紙17-20節」

牧師の言葉

◆方向<どこへ>
 ピレモンへの手紙のテーマは「神の赦しと愛」です。聖書は人間同士の関係だけに限った知恵の書ではありません。まずは神と人との関係を見直し、構築します。この神と人との垂直・縦の関係が正されると、人と人との平行・横の関係もしっかりしたものになっていきます。ちょうど、まっすぐ回るコマが安定して動くようなイメージです。この短い手紙の中で実際的な中心個所はこの17-20節と言われています。ピレモンが、いかに逃亡した奴隷オネシモを迎え入れることができるのか。そのために、パウロは実際の手順と手掛かりをここで記しています。
 第一に大切なのは「方向・どこへ向かうのか」です。往々にして、「なぜ、それをするのか」を最優先しなさい、心の声を聞きなさい、といった意見を見聞きすることがありますが、それは二番目です。なぜなら、たとえば「相手をギャフンと言わせたい」とか「楽をしたい」といった間違った動機から行動することも多々あるからです。この場合、ピレモンに対して「私(パウロ」のようにオネシモを迎えなさい」と(実は命令形)で伝えています。ピレモンの向かうべき方向、絶対に解決すべきことは「オネシモを罪を犯した裏切り者として見ない」ということでした。これが「赦しにおいて進むべき方向」です。赦したと言った後に「私はお前を赦すことは大変だったんだよ」と恩を着せたり、「お前は過去にこういうことをしたんだよ」と言い続けることは真の赦しではありません。赦し側のどこかで過去の罪の火種がまだ燃えていたり、赦された者がいつまでも引け目を感じて過ごしているなら、そこに真の赦しは到来していないしるしです。あなたが、今も心の傷がうずいたり、夜ふつふつと思い出したりするその人や出来事があるならば、「以前のようには見ない」方向を目指してはいかがでしょうか?
◆動機<なぜ>
方向が決まれば、次に「動機・なぜ」です。ピレモンにとって、オネシモを過去のように見ないのはどんな益があるのでしょうか?それは、まず神が自分のことをそのように見てくださることを知るためです。自分こそ、神によってすべてを赦された者であること。神こそ、しみったれた文句や自分の苦労話をなさらないこと。自分が救われたのは、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのか分かっていないのです」と十字架の苦しみを受けながら、祈ってくださったお方によるのだということを、まずピレモン自身が分からせてもらうためです。そうしてこそ、今度は「自分がこの人を赦せるように」という動力となります。自分だけが我慢するのか、自分だけ損するのかという態度は、決してよい動機ではありません。そんなときは、まず神との交わりをじっくりと持ちましょう。そして、神からの赦しを自らの手に受け取りましょう。「人を赦す」という動機はそこからしか湧きません。パウロは、ピレモンに一方的に忍耐することを求めてはいません。オネシモを赦して迎えることは、ピレモン自身にとってすばらしい宝、益であることを味わうためだからです。神の赦しを知り、受け取っている者だけが、同じように人を赦すことができます。パウロがピレモンに「私にもっと負債がある」と言っているのは、経済的な借金ではなく、何よりも高価な神の救いへ導いた霊的財産のことです。神の赦し・救いは、地上のどんな取引よりも莫大で高価なものです。決して無理強いをしないで、恵みによってなしましょう。
◆方法<何をして>
さて、最後に「何をして」赦しを成立させるのかを見ていきましょう。一方的な赦しと言っても、何の犠牲もなく成立したわけではありません。神は、罪とほころびをなかったことにしてごまかすことのないお方です。なぜなら、神は正しいお方、義なるお方だからです。その目は誰よりも厳しく、公正です。えこひいきもありません。私たち人間の罪の償いは、シミも傷もない子羊キリストによって完済されました。すべての傷、損害、負債は、しっかり補われねばなりません。神を目をごまかしたり、神の定規をゆがめてはいけないからです。この場合、オネシモがピレモンに与えた損害や返すべき借金はパウロが補うと署名しています。罪を悔い改め、主人のもとで新しく仕えるオネシモ、身を切りそれを補うパウロ、過去を神の赦しによって乗り越えるピレモン。神によって新生した人々のすがすがしい新世界を拡げましょう!

▲ページの先頭へ